1993年・不発弾撤去による運休
先日、京王線沿線で発見された戦時中の不発弾撤去作業で、一時京王線がつつじが丘~調布間運休となりました。そのニュースを聞いて思い出したのが今日の記事のテーマです。
10年以上前、保土ヶ谷付近で発見された不発弾撤去作業のため、東海道線は貨物線を迂回、横須賀線は横浜で折り返し運転となったことがありました。日時の記録はありませんでしたが、調べてみたら1993年2月14日のことだそうです。
当時の私にはバレンタインデーなど関係なく(・・・今もです・・・)、この迂回列車を新川崎駅で撮影しています。
東海道線799M 1993年2月14日 新川崎駅
品川を出ると次は藤沢という、通勤快速も顔負けの長い距離をノンストップで迂回運行していました。普段湘南ライナーでしか乗ることができない区間を走るので、乗ってみたい衝動にかられましたが、当時高校生だった私にはそれだけで藤沢まで往復する交通費が気になり断念しました。
一方の横須賀線は、横浜折り返しとなりました。
横須賀線横浜行き表示 1993年2月14日 新川崎駅
横須賀線は、横浜駅の東京寄りにある普段は使わない渡り線をフルに活用して折返し運転をしていました。当然、いつもなら年末年始の終夜臨でなければ見られない横須賀線「横浜行き」表示も天日の下で見られました。
あまり野次馬的に撮影に興じるのも気が引けるところですが、今後も機会があれば、「記録」と割り切って他の方に迷惑をかけないように撮影していければと思います。
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コメント
池上線の戸越銀座駅前でもかなり前に同じ事が
ありました。
午前中池上線は雪ヶ谷大塚―五反田間運休、
近くの第二京浜国道も封鎖されてたと思います。
線路際の商店を建て替える時発見されたのですが
それまでずーと爆弾の上で暮らしてたんですよね。(°O° ;)
まあ、無事処理されてよかったですね。
投稿: モリモリ | 2008年5月20日 (火) 21時03分
戸越銀座でのことは割と近くなのに全然知りませんでした。Webで調べてみたら、1992年のことだそうですね。第二京浜が封鎖は大変だったでしょうね。まぁ~あのへんなら、中原街道とか第一京浜とか、迂回路はいくらでもあったのかな?
投稿: 管理人/ひで | 2008年5月21日 (水) 00時10分