カテゴリー「ちょっと懐かしい写真」の記事

2016年6月19日 (日)

国鉄特急色の485系

6月18・19日、唯一残った国鉄特急色の485系が東北本線や磐越西線でラストランをして注目を集めました。残念ながらそちらの撮影は行けなかったのですが、過去のアルバムを振り返ってみると懐かしい列車の数々が残っていました。

「あいづ」
485
1992年3月15日 矢板~片岡
自分が高校に進学し、記念に買ってもらった一眼レフカメラで撮影を始めたころの写真です。東北新幹線が開業した後も、日中の東北本線(直流区間)を堂々の9両編成で走行するシーンが見られました。

「つばさ」
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1992年5月13日 鶯谷駅
山形新幹線開業を1か月半後に控えて最後の活躍をしていた頃です。
こちらも、上野へ出入りする東北本線の昼行特急として1往復だけ残されていました。「あいづ」とセットで運用され、早朝秋田を出発して昼過ぎに上野に到着し、すぐに「あいづ」で会津若松へ向かうという運用でした。
先頭のクハ481は4つ目の1500番台です。

「こまくさ」
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1992年7月28日 新庄駅
開業したばかりの山形新幹線に乗って東北地方を回った時の撮影です。「つばさ」の列車名を新幹線に譲り、新たに山形新幹線接続特急として登場した「こまくさ」も、新幹線の新庄延長工事のため、485系特急としては短命に終わった列車です。

「たざわ」
4851
1992年8月2日 盛岡駅
こちらも1992年の夏休みの時の撮影です。

「はつかり」
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1997年2月16日 滝沢~渋民
当時発売されていた、土日だけJR東日本の新幹線を含む特急自由席乗り放題の「ウィークエンドフリーきっぷ」を使って、津軽鉄道と南部縦貫鉄道に乗りに行ったときに寄り道して撮り鉄しました。

以前の東北地方の485系は国鉄特急色ばかりで、中央本線の183系「あずさ」のような新塗装はありませんでした。それゆえにこの時は485系を見かけてもあまり積極的に撮影しておらず、時代の流れとはいえ今から思えばなんとも贅沢な時代だったんだなぁとしみじみ思います。

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2016年2月 8日 (月)

レトロ列車の旅(1996年11月30日)

大人気の機関車EF58が本線上から引退して久しいですが、かつてはイベント列車に引っ張りだこでした。1996年11月には品川駅主催のツアー形式のイベント列車が運転され、参加しています。

今回は、その際の乗車記をお届けします。

以下は当時のままの文章です。運賃・料金や時刻など、現状とは異なる場合があります。

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ある日の学校の帰り、品川駅で「旧型客車の旅」のポスターを見つけた。内容は品川から大船まで往復し、弁当とお茶つきで3900円と値段も手ごろだったので衝動的に申し込んでしまった。

当日の編成↓EF58がプッシュプルで旧型客車4両を牽引するという豪華編成。

機関車
EF58 89
スハフ42
      2173
オハ47
      2239
オハ47
      2246
スハフ42
      2234
機関車
EF58 61

Ef5861
下り側の先頭はEF58 61 品川駅にて

今回のレトロ列車は、「品川駅おもしろ体験イベント」の一環として運転される。会場のホームには、EF81 81+”夢空間”や、蒸気機関車D51 498などが展示されているが、まずは集合場所である12番線ホームに行く。
 集合時間である10時45分ごろに着いたが、すでに列ができている。ここで座席指定券と弁当、お茶、それに団体旅行扱いとなるため”びゅう”のバッヂを受け取りいったん解散となった。

11時20分ごろ、EF58 61を先頭に旧型客車の編成が入線した。まずは横須賀線ホームから撮影する。61号機は1か月前にお召し列車をけん引した時にきれいに磨かれており、今日もきれいな車体を見せてくれた。先頭には「いでゆ」のヘッドマークが。
   
客車には「品川―大船」のサボがついている。ひととおり撮影し、指定された2号車22番A席におさまった。
11時41分、汽笛がなったあと、客車ならではの揺れがあって静かに動き出した。すぐに横須賀線下り線に入る。
 特急列車のオルゴールがなり、乗車中の注意と案内が入った。車内禁煙のほか、トイレは使えないこと、走行中はデッキに入らないことの注意があった。トイレは垂れ流しなので非衛生的だし、車両の乗降扉は手動式でカギがかからないの走行中に開いたら危険なのでデッキも立入禁止となったのだろう。各車のデッキには係員がはりついている。

最初の通過駅、西大井では撮影者は思ったほど多くなく10人ほど。この先は掘割の中を新幹線と並走するが、高いフェンスに囲まれて撮影者はほとんどいない。品川駅で受け取った弁当はD51 498の写真が入った今回のイベント特製のもの。赤飯や巻き寿司、押し寿司などがあり、おかずとして煮物が入っている。食べているうちに新川崎を通過。ここでも10人ほどの撮影者がいた。駅を出て高架線に入ったところで緊急停車。車内放送によると、この先で線路内侵入者とのこと。本当にいい迷惑である。安全確認ができたのか、5分ほどで再び発車。

 鶴見を出ると、すれ違う列車も多くなる。新子安には大勢の撮影者が集まっていた。ホームには京浜東北線の大宮方面行きが停車中でやきもきしていたことだろう

やがて東海道線の下り列車と並走した。多くの人がこちらを見ている。もうすぐ横浜駅を通過。東海道線を引き離す。しかし、こちらの列車はそれほど早くはなく、保土ヶ谷あたりで追いつかれた。やはりほとんどの人がこちらを注目。先月のお召し列車はニュースでも報道されたので、またお召し列車が走っていると思っている人もいるのではないか。手を振ってくれる人もおり、天皇陛下になった気分で手を振り返してみたいが、一人なので気恥ずかしい。

Ef5889
上り側の先頭はEF58 89 大船駅にて

途中では今回の行程で唯一のトンネルを通ったが、さすがに旧型だとすき間風が多く入ってくる。旧型客車は火災対策の点から、現在では冬でも暖房を入れることができないようだが、今日はそれほど寒くは感じなかった。トンネルを出ると東戸塚を通過。ここまで来ると、沿線はビルなどが少なくなり、撮影者多く集まっているポイントも見られる。戸塚をでるとまたチャイムが鳴り大船到着を知らせる。大船には定刻より4分遅れて6番線に到着した。大船では折り返しまで20分ほど時間があり、反対側のホームから撮影を楽しむ。撮影をしていると時間などあっという間で、発車5分前になり缶コーヒーを買って車内に戻った。
 帰りの列車は大船を定刻に発車。晩秋だと、まだ昼の1時を過ぎたばかりなのに西日のような太陽光線。車内は、鉄道ファンのほかに親子連れも結構乗っていたが、疲れてしまったのか、おとなしく寝ている子供が多い。
 横浜を通過し、新子安を過ぎると目立った撮影者の集まりは見られなくなった。西大井を出たところでまた例のチャイムが。そして終着が近いことを知らせる。駅構内に入り、東海道下り本線を横切り、大勢のファンが待ち構える品川駅7番線に着いた。

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以前から大人気で、JRになってからも5両が動態保存されたものの、老朽化により2011年までに引退してしまいました。本線上では見ることができなくなってしまいましたが、89号機は鉄道博物館で、お召指定機の61号機は東京総合車両センターで大切に保管されているそうです。そして、同センターのイベント開催時で展示されたこともありました。
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2010年8月の東京総合車両センターイベントで展示されたEF58 61号機

今後も、晴れた空の下でこの茶色い機関車を見る機会があってほしいものです。難しいかもしれませんが、可能であれば通電状態で短区間でも構内運転で元気な姿を見せてくれたらうれしいですね。

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2016年2月 1日 (月)

御殿場線60周年記念号(1994年11月27日)

以前、私も人並みに鉄道や旅行をテーマにしたウェブサイトを開設し、5年ほど運営していましたがブログへの移行により現在は更新を停止しています。その後8年ほどずっと放置していましたが、サービス提供元のniftyがサービスを終了するということで、これを機会にウェブサイトに掲載した趣味日記の内容などを“趣味日記再録”というカテゴリをつけて徐々にこちらに移行してくことにしました。

時刻や運賃・料金、その他の情報は当時のままですが、懐かしい列車や車両なども登場してくるかと思いますので、よろしければご覧ください。

日付の古いものから順に、まずは1994年11月27日にキハ80系で運転された、「御殿場線60周年記念号」の乗車記です。

以下は当時のままの文章です。現状とは異なる場合があります。

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道趣味の情報源「鉄道ダイヤ情報」'94年11月号を見ていたら、特報としてキハ80系使用の「御殿場線60周年記念号」が運転されるというニュースがあった。キハ80系といえば、かつて国鉄時代の名車といわれたが、最後に残ったJR東海の車両も近いうちに検査期限が切れて廃車が予想され、自分にとっては最初で最後の乗車チャンスとなりそうだ。しかも、東京に近い御殿場線で運転されるとあっては行かずにはいられない。かくして、11月最後の日曜日、出かけることになった。

新幹線と普通列車を乗り継いで沼津駅に着いた。御殿場線ホームで入線を待つ。ホームでは60年前のデザインのかけ紙を使った丹那トンネル開通60周年記念弁当があったのでお昼用に買っておく。

10時45分ころ、お目当ての列車は御殿場線ホームではなく、東海道線上りホーム(特急「あさぎり発着ホーム)に入線。グリーン車組み込みの5両編成。
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沼津駅で発車を待つキハ80系「御殿場線60周年記念号」

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緑色の地紋も懐かしい指定席券。今だと発行される指定席券は定期券サイズですが、当時は横長タイプでした。

ひととおり写真撮影をしてから車内に入れば、昔ながらのリクライニングしない回転クロスシートが並ぶ。テーブルを出し、弁当を食べていると静かに発車した。
指定券のチェックにきた2人の車掌のうち、一人は国鉄時代の制服を着て雰囲気を盛り上げる。

車窓左手に富士山が見えるようになってきたが、あいにく頂上には薄く雲がかかっている。沼津から40分足らずで御殿場到着。ここで38分の停車となっている。
まずは記念入場券を買おうと思っていたが、すでに窓口には長蛇の列が。まあ、入場券はどうしても欲しいものでもないので、いろいろな角度から列車の撮影を楽しむ。

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沼津側のヘッドマークは、「60th ごてんば」の絵入りスペシャルマーク。一方の下曽我よりは、かつての国鉄特急を思わせる白地に黒の「ごてんば」の文字だけのマーク。どちらも今回のキハ80にふさわしいヘッドマークだ。しかも、両先頭車とも、JRのマークを消して、一度は外されたはずの「JNR」マーク
がついている。
Gotenbasta
11時52分、特急「あさぎり3号」が入ってきたが、ホームが離れているので並べて撮ることはできなかった。かわりに、キハ80の隣に115系普通列車がきたのでこちらを並べて撮った。
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ホームではくす玉が割られ、太鼓の演奏が行われている。記念のオレンジカードを買って席に戻る。

御殿場を発車すると、記念品が配られた。記念品は、フジカラースーパーG400の12枚撮りだった。乗車記念にフィルムとは?と思ったが、一緒にもらったパンフレットには「協賛:フジフィルム」とあり納得。
 沿線には大勢のファンが待ち構えており、足柄付近には車内から歓声が上がるほどの人数。不思議なもので、外で撮影しているときは、他の撮影者が少ないほうが自由なアングルを選べていいのだが、自分が撮られる列車に乗っていると、撮影者が多いほうが気分がいいものだ。

富士山はだんだん手前の山に隠れて見えなくなる。松田では「あさぎり」専用のホームに入線。上大井の手前で線路内侵入者のため急停車。すぐに走り出せば、終点の下曽我はもうすぐだ。

   下曽我でも、大勢のファンが記念入場券を買ったり、写真撮影をしたりで賑わっている。私はもう撮影もしておいたのでおとなしく後続の普通列車を待った。

   臨時快速のため、特急らしい走りは見せてくれなかったが、かつて国鉄の誇った「名車」に駆け込みではあるが、乗ることができてよかった。いま、この車両よりもはるかに性能のよい車両が全国で活躍しているが、その前には、この車両の技術があることを忘れないでおきたい。

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2016年1月15日 (金)

廃止直前に撮影した蒲原鉄道

昨年3月の北陸新幹線金沢開業により特急街道からすっかりローカル線に様変わりした北越急行は、新幹線の並行在来線廃止によりえちごトキめき鉄道が開業するまでは新潟県で唯一のJR以外の私鉄でした。しかし、かつては新潟県内にも(第三セクターではない)純粋な民営鉄道がありました。その一つが、今回ご紹介する蒲原鉄道です。

蒲原鉄道は、信越本線の加茂と磐越西線の五泉を結ぶ中小私鉄でしたが、1985年に路線の8割を占める加茂~村松間が廃止され、残った村松~五泉間も1999年に廃止となり、蒲原鉄道の鉄道路線は消滅しました。なお、蒲原鉄道という会社自体は、バス会社として現在も存続しています。

私が蒲原鉄道線を訪ねたのは2回。最初は1994年3月。青春18きっぷでの乗りつぶし旅行の途中で立ち寄りました。この時は夕方に1往復しただけであまり印象には残っていません。

2回目の訪問は廃止を1週間後に控えた1999年9月29日。前日夜のムーンライトえちごで新潟入りし、磐越西線で五泉に着きました。蒲原鉄道のホームには列車がいないので、五泉行きの入線シーンから撮影しました。

朝日を浴びてホームに停まるモハ41。
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1999年9月29日 五泉駅
この折り返し列車に乗って村松に行くと、2両編成を組んだ車両がいました。
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1999年9月29日 村松駅

この2両編成、通常は平日朝の通勤通学輸送で1往復するくらいしか出番がなかったようですが、廃止が近づくと団体輸送などの需要があり撮影に行ったこの日も日中に運転され、めでたく走行シーンを撮影することができました。

モハ71+クハ11
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1999年9月29日 今泉~村松

村松駅にあった車両基地では、留置車両を見学させていただけました。

モハ61とED1
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モハ61は1950年代に西武鉄道からやってきた車両です。車体塗装は当時の西武鉄道のまま。この塗装は他の車両にも波及し、蒲原鉄道の車両カラーとなっていました。

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モハ31とモハ71
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この日は地元幼稚園児が車両の写生に来ていました。


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1999年9月29日 五泉駅
車両の右側にいる女の子は3歳くらいでしょうか?今頃は二十歳くらいかと思いますが、ここに鉄道が走っていたことは覚えているでしょうか・・・。

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1999年9月29日 五泉~今泉
14時ごろ、五泉駅付近のカーブで撮影して撤収しました。

蒲原鉄道の廃線から16年、すでにレールははがされましたが廃線跡はまだ確認できるようです。車両も一部は保存されているそうです。機会があればまた再訪してみたいですね。

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2015年3月22日 (日)

岳南鉄道の青ガエル

東急電鉄の初代5000系は、東急での廃車後は各地の中小私鉄に譲渡されましたが、譲渡先での活躍もすでに終了し、かろうじて残っていた熊本電鉄の2両も今月に1両引退し、最後の1両も年内に引退する予定だそうです。

東急時代の青ガエルには、私も幼少のころに大井町線で乗った記憶があり、ぜひとも最後の1両をもう一度熊本まで行って乗ってみたいところですがそれもかないそうにありません。

そこで、同じ5000系を導入し、運用末期に東急時代の塗装を復元した岳南鉄道の5000系で当時を懐かしむとしましょう。

沿線で撮影した“青ガエル”こと5001編成。
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1997~8年ごろの撮影です。

岳南江尾駅で岳南オリジナル塗装の編成とならぶ青ガエル。
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この当時の岳南鉄道は貨物輸送も盛んで、古い機関車が紙輸送のワムを牽引するシーンも見られましたが、今では貨物輸送も廃止され、旅客列車は単行となるなど、寂しい限りです。

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2014年2月15日 (土)

1996年雪の新子安駅

2月に入り、都心部でも数十年ぶりという大雪が2週連続で降りました。雪に弱い関東エリアでは交通機関の遅れや運休で大混乱。2月8日の雪では雪景色の撮影でしんしんと降る雪のなか撮影してきましたが、15日は朝から雨で出かける気にもなれないため、昔撮影した写真を載せてみます。

今から18年前、1996年2月8日の新子安駅です。前日から降った雪が積もったためカメラをもって出かけました。ホーム先端は混雑しているため、中ほどからの撮影です。

215系快速「アクティー」とアルファリゾート21の「リゾート踊り子」のすれ違い。
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今では見られない、215系の「アクティー」運用。短距離でも気軽に乗れた2階建て車両でしたが、2ドアでは乗降に時間がかかるとして、「アクティー」の運用から外されてしまいました。現在では定期運用は平日の“ライナー”のみとなっています。

165系「パノラマエクスプレスアルプス」
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つい先日、譲渡された富士急行でこの塗装が復活し、引退したこの車両のJR時代。隣にいる103系も懐かしいですね。

というわけで、京浜東北線の103系も。
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この当時、すでに約半数が209系に置き換わっていましたが、まだまだ103系も多数見られました。103系の雪景色もあと何回見られるかなという思いで撮影した記憶があります。

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こちらは少し場所を変えて横浜~東神奈川間の歩道橋から。右の架線柱などがごちゃごちゃしていますが何とか編成にかからずに撮影できました。

それから18年、その間の通勤電車は209・E231を経てE233系が首都圏の主力となりつつあります。今のうちに雪景色で撮影しておきたいのは、すでに置き換えが決まっている横浜線や南武線の205系でしょうか。

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2013年1月29日 (火)

山手線の103系

山手線では、ウグイス色103系電車運転開始50周年を記念して「みどりの山手線ラッピングトレイン」を1年にわたって運転しており、当ブログでも紹介してきました。

ではその山手線103系の写真はないかなと探してみると、これがほとんどないんですね。首都圏で103系を運用していた路線のうち、山手線は205系の集中投入により早い段階で置き換えが進み、国鉄がJRになって1年後、まだ昭和の時代の1988年6月に最後の編成が引退しています。

それに、私は当時小学生で、今のデジタルカメラと違いフィルムを大切に使っていた時代において、珍しくもない日常の通勤電車を撮影しようという考えなどありませんでした。

そんな山手線103系ですが、わずかに撮影していた写真がこれ。
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山手線103系 1987年3月30日 田町駅
「さようなら日本国有鉄道」のヘッドマークをつけた103系です。この2日後にはJRが発足し、先頭のクハ103には「JRマーク」をつけて運転されるわけですが、1年3ヶ月後には撤退することを考えると、JRマークをつけた山手線103系というのは、今思えばレアだったと言えるかもしれません。

さて、山手線から103系が撤退してからさらに2年後、「テックトレイン」というイベント列車で103系が帰ってきました。
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103系「テックトレイン」 1990年10月27日 新宿駅

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103系「テックトレイン」 1990年10月27日 有楽町駅
当然ながら山手線には103系の配置がなかったため、埼京線と京浜東北線の車両を使っていたそうです。

このときは最新型だった205系も追われる身となり、山手線での103系はすでに2世代前の車両となってしまいました。よく「明治は遠くなりにけり」という俳句をもじって「昭和は遠くなりにけり」という表現を目にすることがありますが、まさに103系の走っていた時代は遠くなりつつあるようです。

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2012年1月14日 (土)

小田急ロマンスカー3100形NSE

小田急ロマンスカーは今年の3月で2形式が退役することになっており、当ブログでも最後の活躍の様子をご紹介していますが、小田急ロマンスカーで忘れてはならないのがこの車両。Img_0004
小田急ロマンスカーといえば展望席というイメージを定着させた3100形NSE車です。1996年春の撮影です。以前撮影したことがあったので、探してみました。

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こちらは、車両のみならず「あしがら」の列車名も懐かしい一コマ。

その後、3100形NSE車は1999年に引退となりましたが、記念すべき車両として静態保存され、イベントの際にはその特徴的な顔を見ることができます。Img_0002

2001年の海老名検車区でのイベントで撮影しました。現在では6両編成に短縮されて、喜多見検車区で静態保存されているそうです。

おまけ:こちらは、同時に展示されていた2200形の保存車。Img_0003

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2011年3月 6日 (日)

丸ノ内線の旧型車

銀座線01系のネタを書くために探した写真は、丸ノ内線の旧型車500形引退イベントの時のもの。せっかくですので、丸ノ内線の旧型車の写真もご紹介します。

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丸ノ内線500形 1996年7月20日 中野車両基地
「フィナーレ500記念号」のヘッドマークをつけた500形。すでに池袋~荻窪間の本線上からは引退し、方南町支線に残っていた3両編成を2本つなぎ6両編成として運転されました。

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1996年7月20日 四ツ谷駅
丸ノ内線の地上駅である四ツ谷駅で撮影しました。大勢の撮影者が集まっていましたが、今ではホームドアが設置されホームの雰囲気も変わっていることでしょう。

こちらはそれよりもう少し前の本線で走っていたころの写真です。
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1994年ごろ 茗荷谷~後楽園
これも地上区間での撮影です。このころすでに500形はかなり少数派で、しばらく待ってから撮影できました。

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上の列車の後追いです。このアングルで池袋行きも撮影したかったのですがなかなかやってこなくてあきらめて帰りました。

白い帯にサインカーブも懐かしい車両の一コマでした。

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2011年2月23日 (水)

ED75 1001号機

今でこそ、旅行では航空機も利用するようになりましたが、高校に進学したころは「青春18きっぷ」で普通列車を乗り継いでの移動が“遠出”でした。そのころは遠出するときはどちらかと言うと“撮り鉄”よりも”乗り鉄”で、まだ乗ったことのない路線に多く乗ろうという考えでした。そのため、フィルムの写真時代にはあまり地方で撮影した写真がないんですね。

この写真は黒磯駅での列車待ちの間に撮影したものです。
Ed75
ED75 1001  1992年3月14日 黒磯駅

貨物列車の牽引にあたるED75形重連です。構内入換のシーンを何気なく撮影したものですが、あとになって写真を見てみたら1000番台のトップナンバー1001号機でした。このころはまだ原色のままで、その後更新色になり2007年に廃車になっています。

東北本線の交流区間では多くの列車でED75形重連が運用についていました。それがいまではEH500に交代し、定期運用からの撤退もそう遠いことではないかと思います。その前に、もう少し撮影する機会があればと思いますが、少し遠いのでなかなか撮影に行きにくいのが難点なところ。今週末時間が取れれば高速飛ばして夜行日帰りで行ってこようかと考えています。

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