カテゴリー「ちょっと懐かしい写真」の記事

2022年4月18日 (月)

1988年に運転されたこだま&つばめミステリー号

JRが発足して数年の間はバブル全盛期という追い風もあって、今では考えられないような魅力的なイベントが多数企画されました。今回ご紹介する「こだま&つばめミステリー号」もその一つで、勝田電車区のボンネット485系を使って151系の「こだま」「つばめ」を再現するツアー形式のイベントに参加しました。

運転されたのは1988年11月13日、東京駅を出発して品鶴線・高島貨物線・根岸線を経由して最終目的地の伊東で車両撮影会という内容です。行きの車内では行先当てクイズやイントロクイズなどがあり、私も賞品をいただきました。

さて、伊東での撮影会ではEF58 61号機も参加して昔のヘッドマークを付けてくれました。2
撮影会はツアー参加者のみでしたので、今のように殺伐とした雰囲気にはならず余裕をもって撮影できたと記憶しています。ボンネットの赤い”ヒゲ”を消したりスカートをグレーに塗装したりと、かなり手の込んだ演出です。写真の「オリンピア」は1964年の東京オリンピックの時に東京~熱海間で運転された151系使用の臨時特急です。

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こちらは、上越線特急「とき」。181系のイメージですね。

このあと、EF58は入換して反対側に移動しました。そして、伊豆急リゾート21との3並びが実現。1
リゾート21の停車する線路上も開放していただき、こんな並びが撮影できました。今の有料撮影会でも、なかなかここまでやるのは難しいでしょう。

EF58は「つばめ」のほか「平和」「はと」、485系の東京側クハ481では「白鳥」「雷鳥」などの絵入りマークも掲出されていましたが、当時小学生だった私はブレブレだったり見切れていたり、満足のいく写真がほとんど残せていないのがなんとも悔やまれますが、こればかりは仕方ないですね。今回アップした写真も、スキャンした後傾き補正やトリミングでなんとか見られる写真にしています。

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2022年1月 1日 (土)

京急大師線のヘッドマーク今年から取りやめ!?

明けましておめでとうございます。

昨年もコロナ禍により、思うような乗り物趣味を楽しめたとは言えない1年でした。とりわけ撮り鉄の世界では、鉄道会社社員や利用者、沿線住民に迷惑をかける一部の輩が報道で注目を集め、肩身が狭くなってしまいました。私もすっかり撮影意欲を失ってしまい、沿線での撮り鉄は3月以来のご無沙汰となっています。
そんな中、最近では鉄道会社による人数限定・有料による鉄道イベントが主流になってきました。これについては様々な意見があるようですが、参加者数を限定することにより密を回避できるほか、撮り鉄向けや親子連れ向けなど、ターゲットを分けることができるので私はいいと思っています。鉄道会社にとっても、コロナ禍による減収対策として有効なんでしょう。まあ、料金がそんなに安くはないのでまだ参加しとことはありませんが、自分の関心のある内容なら、今後機会があればぜひ参加してみたいと思っています。

一方の航空趣味では、万単位の人が集まる航空祭はどうしても密を避けることは難しく、国の機関である防衛省・自衛隊がお金をとってイベントを開催することもできないので、まだしばらくはお預けとなりそうですね。早くコロナが収束してほしいものです。

 

さて、お正月といえば毎年恒例の京急大師線の干支ヘッドマーク。年中行事ですから、下調べもなにもせず、ただカメラを持って行ってみたら、なんとヘッドマークがありません!もともと新1000形には付けられていませんでしたが、今年は1500形にもありませんでした。京急から公式なアナウンスはありませんが、何らかの理由で今年だけなのか、それとも来年以降もやめるのか、気になるところです。もっとも、ヘッドマークを付けられるのは1500形のみで、新1000形には以前からついていませんでしたので、今後1500形の引退が進むとなると時間の問題だったのかもしれません。

そんなわけで、今回は撮影なかったので、12年前の寅年、2010年に撮影した写真をお目にかけたいと思います。(2010年1月1日の当ブログ記事からの再掲です)
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2010年1月1日 14:23 港町~京急川崎
今も見られる1500形。現在では運行番号・種別・行先表示がLEDとなっています。車齢も30年を超え、今後が気になりますね。

Dsc_1711
2010年1月1日 14:30 京急川崎~港町
12年前はまだ旧1000形が最後の活躍をしていました。この年の6月に最後の編成が引退しています。

いろいろな事情があってのヘッドマーク取りやめなんでしょうけど、やはり残念ですね。

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2020年4月16日 (木)

札沼線のキハ53

今年のゴールデンウイーク明けに廃止となる予定だったJR札沼線の末端区間が、コロナウイルス蔓延の影響により、人が集まることを避けるために廃止日が前倒しとなりました。当初は全席指定の列車として運行することにより人が密集する「3密」の状態を避けるように計画されていましたが、緊急事態宣言が出てしまってはそれすらも難しくなってしまいました。

私は札沼線には1995年8月に全線に乗っており、その時は急行「八甲田」で青森へ向かい、青函トンネルの吉岡海底駅を見学して大沼泊。翌日は大沼でカヌー体験や函館観光をして、急行「はまなす」で札幌入りしました。確か「ミッドナイト」の指定がとれなくて、函館の発車が深夜となる「はまなす」にしたんだと記憶しています。

早朝札幌に到着していよいよ札沼線乗車。このときから札沼線の札幌近郊は日中でも30分に1本くらいの運転間隔でしたが、このあと電化され、通勤路線として成長を遂げようとは思ってもみませんでした。石狩当別で新十津川行きに乗換え。

53
1995年8月1日 石狩当別駅
国鉄急行色を維持したキハ53 504による石狩当別7時55分発の新十津川行き5423D。単行ですが乗客は数えるくらいしか乗っていませんでした。今でこそ1日1往復のローカル線も、この時はまだ新十津川まで行く列車が1日3往復あったので、朝昼夕乗る列車の選択肢はありました。

やはりこの時も、乗り鉄重視なので写真はこれ1枚だけ。ですが、木の床やディーゼルの排煙のにおいなどははっきりと覚えています。これからも、記憶にとどめておきたいですね。

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2020年4月 5日 (日)

1999年のことでん

4月に入って暖かくなりました。週末は天気もよくて絶好の撮影日和・・・なんですが、コロナウイルスの蔓延によりそれどころではありません。人の集まらない撮影ポイントを探して、日常の列車や航空機を撮影することもできますが、先日、志村けんさんの死去という大変なショッキングなニュースを聞いて、これは本当に非常事態であると認識させられました。

当ブログのテーマからは話がそれますが、私も小学生のころはドリフ世代で、「8時だョ!全員集合」を見て腹を抱えて笑っていた頃を懐かしく思い出します。今の娘の年齢がちょうど私が全員集合をリアルタイムで見ていた頃と同じで、先日放送された追悼番組を一緒に見てたら床に転がりながら大笑いしていました。あの面白さは世代を越えて普遍的なんですね。

さて、世の中はこういう状態ですので、週末の趣味活動は撮影用の貨物列車の時刻表を作ってみたり、過去に撮影した写真を整理したり。そんな中、先月訪問したことでんの、1999年に撮影した写真がありました。

当時のことでんは、今は動態保存されている旧型電車がバリバリの現役で、京急700形の譲渡をうけた1200形はまだいませんでした。

撮影は片原町付近で。
1080
1999年1月 高松築港~片原町
平日の朝ラッシュ時間帯なので、4両編成も見られました。当時のことでんは路線ごとのラインカラーがなく、アイボリーとピンクのツートンカラーが標準色でした。今の志度線のカラーですね。

820
1999年1月 高松築港~片原町
先頭車両の車両番号が見にくいですが、820号です。調べてみると、豊川鉄道(現在の飯田線の一部)が発注した車両を譲渡されたもので、2003年まで動いていました。

1100
1999年1月 高松築港~片原町
1997年に入線した元京王5000系の1100形は、新塗装となってデビューしましたが、その後に琴平線のラインカラーに変更されています。

30002
1999年1月 高松築港~片原町
3000形325号。ラッシュがひと段落したのか、2両編成でやってきました。

1000
1999年1月 長尾~公文明
長尾線の1000形100号。このころは最後の活躍をしている時期で、この年の6月にさよなら運転をしています。後ろに連結している車両の裾が不揃いなのは旧型電車らしいですね。

この当時は、他に京急の旧230形の30形なども在籍していましたが、このころの私はどちらかというと未乗路線乗りつぶしの”乗り鉄”重視で、車両への関心は今一つだったことから、貴重な車両を撮り逃していたことが悔やまれます。

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2016年6月19日 (日)

国鉄特急色の485系

6月18・19日、唯一残った国鉄特急色の485系が東北本線や磐越西線でラストランをして注目を集めました。残念ながらそちらの撮影は行けなかったのですが、過去のアルバムを振り返ってみると懐かしい列車の数々が残っていました。

「あいづ」
485
1992年3月15日 矢板~片岡
自分が高校に進学し、記念に買ってもらった一眼レフカメラで撮影を始めたころの写真です。東北新幹線が開業した後も、日中の東北本線(直流区間)を堂々の9両編成で走行するシーンが見られました。

「つばさ」
485_2
1992年5月13日 鶯谷駅
山形新幹線開業を1か月半後に控えて最後の活躍をしていた頃です。
こちらも、上野へ出入りする東北本線の昼行特急として1往復だけ残されていました。「あいづ」とセットで運用され、早朝秋田を出発して昼過ぎに上野に到着し、すぐに「あいづ」で会津若松へ向かうという運用でした。
先頭のクハ481は4つ目の1500番台です。

「こまくさ」
4852
1992年7月28日 新庄駅
開業したばかりの山形新幹線に乗って東北地方を回った時の撮影です。「つばさ」の列車名を新幹線に譲り、新たに山形新幹線接続特急として登場した「こまくさ」も、新幹線の新庄延長工事のため、485系特急としては短命に終わった列車です。

「たざわ」
4851
1992年8月2日 盛岡駅
こちらも1992年の夏休みの時の撮影です。

「はつかり」
4852_2
1997年2月16日 滝沢~渋民
当時発売されていた、土日だけJR東日本の新幹線を含む特急自由席乗り放題の「ウィークエンドフリーきっぷ」を使って、津軽鉄道と南部縦貫鉄道に乗りに行ったときに寄り道して撮り鉄しました。

以前の東北地方の485系は国鉄特急色ばかりで、中央本線の183系「あずさ」のような新塗装はありませんでした。それゆえにこの時は485系を見かけてもあまり積極的に撮影しておらず、時代の流れとはいえ今から思えばなんとも贅沢な時代だったんだなぁとしみじみ思います。

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2016年2月 8日 (月)

レトロ列車の旅(1996年11月30日)

大人気の機関車EF58が本線上から引退して久しいですが、かつてはイベント列車に引っ張りだこでした。1996年11月には品川駅主催のツアー形式のイベント列車が運転され、参加しています。

今回は、その際の乗車記をお届けします。

以下は当時のままの文章です。運賃・料金や時刻など、現状とは異なる場合があります。

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ある日の学校の帰り、品川駅で「旧型客車の旅」のポスターを見つけた。内容は品川から大船まで往復し、弁当とお茶つきで3900円と値段も手ごろだったので衝動的に申し込んでしまった。

当日の編成↓EF58がプッシュプルで旧型客車4両を牽引するという豪華編成。

機関車
EF58 89
スハフ42
      2173
オハ47
      2239
オハ47
      2246
スハフ42
      2234
機関車
EF58 61

Ef5861
下り側の先頭はEF58 61 品川駅にて

今回のレトロ列車は、「品川駅おもしろ体験イベント」の一環として運転される。会場のホームには、EF81 81+”夢空間”や、蒸気機関車D51 498などが展示されているが、まずは集合場所である12番線ホームに行く。
 集合時間である10時45分ごろに着いたが、すでに列ができている。ここで座席指定券と弁当、お茶、それに団体旅行扱いとなるため”びゅう”のバッヂを受け取りいったん解散となった。

11時20分ごろ、EF58 61を先頭に旧型客車の編成が入線した。まずは横須賀線ホームから撮影する。61号機は1か月前にお召し列車をけん引した時にきれいに磨かれており、今日もきれいな車体を見せてくれた。先頭には「いでゆ」のヘッドマークが。
   
客車には「品川―大船」のサボがついている。ひととおり撮影し、指定された2号車22番A席におさまった。
11時41分、汽笛がなったあと、客車ならではの揺れがあって静かに動き出した。すぐに横須賀線下り線に入る。
 特急列車のオルゴールがなり、乗車中の注意と案内が入った。車内禁煙のほか、トイレは使えないこと、走行中はデッキに入らないことの注意があった。トイレは垂れ流しなので非衛生的だし、車両の乗降扉は手動式でカギがかからないの走行中に開いたら危険なのでデッキも立入禁止となったのだろう。各車のデッキには係員がはりついている。

最初の通過駅、西大井では撮影者は思ったほど多くなく10人ほど。この先は掘割の中を新幹線と並走するが、高いフェンスに囲まれて撮影者はほとんどいない。品川駅で受け取った弁当はD51 498の写真が入った今回のイベント特製のもの。赤飯や巻き寿司、押し寿司などがあり、おかずとして煮物が入っている。食べているうちに新川崎を通過。ここでも10人ほどの撮影者がいた。駅を出て高架線に入ったところで緊急停車。車内放送によると、この先で線路内侵入者とのこと。本当にいい迷惑である。安全確認ができたのか、5分ほどで再び発車。

 鶴見を出ると、すれ違う列車も多くなる。新子安には大勢の撮影者が集まっていた。ホームには京浜東北線の大宮方面行きが停車中でやきもきしていたことだろう

やがて東海道線の下り列車と並走した。多くの人がこちらを見ている。もうすぐ横浜駅を通過。東海道線を引き離す。しかし、こちらの列車はそれほど早くはなく、保土ヶ谷あたりで追いつかれた。やはりほとんどの人がこちらを注目。先月のお召し列車はニュースでも報道されたので、またお召し列車が走っていると思っている人もいるのではないか。手を振ってくれる人もおり、天皇陛下になった気分で手を振り返してみたいが、一人なので気恥ずかしい。

Ef5889
上り側の先頭はEF58 89 大船駅にて

途中では今回の行程で唯一のトンネルを通ったが、さすがに旧型だとすき間風が多く入ってくる。旧型客車は火災対策の点から、現在では冬でも暖房を入れることができないようだが、今日はそれほど寒くは感じなかった。トンネルを出ると東戸塚を通過。ここまで来ると、沿線はビルなどが少なくなり、撮影者多く集まっているポイントも見られる。戸塚をでるとまたチャイムが鳴り大船到着を知らせる。大船には定刻より4分遅れて6番線に到着した。大船では折り返しまで20分ほど時間があり、反対側のホームから撮影を楽しむ。撮影をしていると時間などあっという間で、発車5分前になり缶コーヒーを買って車内に戻った。
 帰りの列車は大船を定刻に発車。晩秋だと、まだ昼の1時を過ぎたばかりなのに西日のような太陽光線。車内は、鉄道ファンのほかに親子連れも結構乗っていたが、疲れてしまったのか、おとなしく寝ている子供が多い。
 横浜を通過し、新子安を過ぎると目立った撮影者の集まりは見られなくなった。西大井を出たところでまた例のチャイムが。そして終着が近いことを知らせる。駅構内に入り、東海道下り本線を横切り、大勢のファンが待ち構える品川駅7番線に着いた。

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以前から大人気で、JRになってからも5両が動態保存されたものの、老朽化により2011年までに引退してしまいました。本線上では見ることができなくなってしまいましたが、89号機は鉄道博物館で、お召指定機の61号機は東京総合車両センターで大切に保管されているそうです。そして、同センターのイベント開催時で展示されたこともありました。
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2010年8月の東京総合車両センターイベントで展示されたEF58 61号機

今後も、晴れた空の下でこの茶色い機関車を見る機会があってほしいものです。難しいかもしれませんが、可能であれば通電状態で短区間でも構内運転で元気な姿を見せてくれたらうれしいですね。

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2016年2月 1日 (月)

御殿場線60周年記念号(1994年11月27日)

以前、私も人並みに鉄道や旅行をテーマにしたウェブサイトを開設し、5年ほど運営していましたがブログへの移行により現在は更新を停止しています。その後8年ほどずっと放置していましたが、サービス提供元のniftyがサービスを終了するということで、これを機会にウェブサイトに掲載した趣味日記の内容などを“趣味日記再録”というカテゴリをつけて徐々にこちらに移行してくことにしました。

時刻や運賃・料金、その他の情報は当時のままですが、懐かしい列車や車両なども登場してくるかと思いますので、よろしければご覧ください。

日付の古いものから順に、まずは1994年11月27日にキハ80系で運転された、「御殿場線60周年記念号」の乗車記です。

以下は当時のままの文章です。現状とは異なる場合があります。

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道趣味の情報源「鉄道ダイヤ情報」'94年11月号を見ていたら、特報としてキハ80系使用の「御殿場線60周年記念号」が運転されるというニュースがあった。キハ80系といえば、かつて国鉄時代の名車といわれたが、最後に残ったJR東海の車両も近いうちに検査期限が切れて廃車が予想され、自分にとっては最初で最後の乗車チャンスとなりそうだ。しかも、東京に近い御殿場線で運転されるとあっては行かずにはいられない。かくして、11月最後の日曜日、出かけることになった。

新幹線と普通列車を乗り継いで沼津駅に着いた。御殿場線ホームで入線を待つ。ホームでは60年前のデザインのかけ紙を使った丹那トンネル開通60周年記念弁当があったのでお昼用に買っておく。

10時45分ころ、お目当ての列車は御殿場線ホームではなく、東海道線上りホーム(特急「あさぎり発着ホーム)に入線。グリーン車組み込みの5両編成。
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沼津駅で発車を待つキハ80系「御殿場線60周年記念号」

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緑色の地紋も懐かしい指定席券。今だと発行される指定席券は定期券サイズですが、当時は横長タイプでした。

ひととおり写真撮影をしてから車内に入れば、昔ながらのリクライニングしない回転クロスシートが並ぶ。テーブルを出し、弁当を食べていると静かに発車した。
指定券のチェックにきた2人の車掌のうち、一人は国鉄時代の制服を着て雰囲気を盛り上げる。

車窓左手に富士山が見えるようになってきたが、あいにく頂上には薄く雲がかかっている。沼津から40分足らずで御殿場到着。ここで38分の停車となっている。
まずは記念入場券を買おうと思っていたが、すでに窓口には長蛇の列が。まあ、入場券はどうしても欲しいものでもないので、いろいろな角度から列車の撮影を楽しむ。

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沼津側のヘッドマークは、「60th ごてんば」の絵入りスペシャルマーク。一方の下曽我よりは、かつての国鉄特急を思わせる白地に黒の「ごてんば」の文字だけのマーク。どちらも今回のキハ80にふさわしいヘッドマークだ。しかも、両先頭車とも、JRのマークを消して、一度は外されたはずの「JNR」マーク
がついている。
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11時52分、特急「あさぎり3号」が入ってきたが、ホームが離れているので並べて撮ることはできなかった。かわりに、キハ80の隣に115系普通列車がきたのでこちらを並べて撮った。
Gotenbasta3

ホームではくす玉が割られ、太鼓の演奏が行われている。記念のオレンジカードを買って席に戻る。

御殿場を発車すると、記念品が配られた。記念品は、フジカラースーパーG400の12枚撮りだった。乗車記念にフィルムとは?と思ったが、一緒にもらったパンフレットには「協賛:フジフィルム」とあり納得。
 沿線には大勢のファンが待ち構えており、足柄付近には車内から歓声が上がるほどの人数。不思議なもので、外で撮影しているときは、他の撮影者が少ないほうが自由なアングルを選べていいのだが、自分が撮られる列車に乗っていると、撮影者が多いほうが気分がいいものだ。

富士山はだんだん手前の山に隠れて見えなくなる。松田では「あさぎり」専用のホームに入線。上大井の手前で線路内侵入者のため急停車。すぐに走り出せば、終点の下曽我はもうすぐだ。

   下曽我でも、大勢のファンが記念入場券を買ったり、写真撮影をしたりで賑わっている。私はもう撮影もしておいたのでおとなしく後続の普通列車を待った。

   臨時快速のため、特急らしい走りは見せてくれなかったが、かつて国鉄の誇った「名車」に駆け込みではあるが、乗ることができてよかった。いま、この車両よりもはるかに性能のよい車両が全国で活躍しているが、その前には、この車両の技術があることを忘れないでおきたい。

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2016年1月15日 (金)

廃止直前に撮影した蒲原鉄道

昨年3月の北陸新幹線金沢開業により特急街道からすっかりローカル線に様変わりした北越急行は、新幹線の並行在来線廃止によりえちごトキめき鉄道が開業するまでは新潟県で唯一のJR以外の私鉄でした。しかし、かつては新潟県内にも(第三セクターではない)純粋な民営鉄道がありました。その一つが、今回ご紹介する蒲原鉄道です。

蒲原鉄道は、信越本線の加茂と磐越西線の五泉を結ぶ中小私鉄でしたが、1985年に路線の8割を占める加茂~村松間が廃止され、残った村松~五泉間も1999年に廃止となり、蒲原鉄道の鉄道路線は消滅しました。なお、蒲原鉄道という会社自体は、バス会社として現在も存続しています。

私が蒲原鉄道線を訪ねたのは2回。最初は1994年3月。青春18きっぷでの乗りつぶし旅行の途中で立ち寄りました。この時は夕方に1往復しただけであまり印象には残っていません。

2回目の訪問は廃止を1週間後に控えた1999年9月29日。前日夜のムーンライトえちごで新潟入りし、磐越西線で五泉に着きました。蒲原鉄道のホームには列車がいないので、五泉行きの入線シーンから撮影しました。

朝日を浴びてホームに停まるモハ41。
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1999年9月29日 五泉駅
この折り返し列車に乗って村松に行くと、2両編成を組んだ車両がいました。
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1999年9月29日 村松駅

この2両編成、通常は平日朝の通勤通学輸送で1往復するくらいしか出番がなかったようですが、廃止が近づくと団体輸送などの需要があり撮影に行ったこの日も日中に運転され、めでたく走行シーンを撮影することができました。

モハ71+クハ11
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1999年9月29日 今泉~村松

村松駅にあった車両基地では、留置車両を見学させていただけました。

モハ61とED1
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モハ61は1950年代に西武鉄道からやってきた車両です。車体塗装は当時の西武鉄道のまま。この塗装は他の車両にも波及し、蒲原鉄道の車両カラーとなっていました。

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モハ31とモハ71
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この日は地元幼稚園児が車両の写生に来ていました。


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1999年9月29日 五泉駅
車両の右側にいる女の子は3歳くらいでしょうか?今頃は二十歳くらいかと思いますが、ここに鉄道が走っていたことは覚えているでしょうか・・・。

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1999年9月29日 五泉~今泉
14時ごろ、五泉駅付近のカーブで撮影して撤収しました。

蒲原鉄道の廃線から16年、すでにレールははがされましたが廃線跡はまだ確認できるようです。車両も一部は保存されているそうです。機会があればまた再訪してみたいですね。

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2015年3月22日 (日)

岳南鉄道の青ガエル

東急電鉄の初代5000系は、東急での廃車後は各地の中小私鉄に譲渡されましたが、譲渡先での活躍もすでに終了し、かろうじて残っていた熊本電鉄の2両も今月に1両引退し、最後の1両も年内に引退する予定だそうです。

東急時代の青ガエルには、私も幼少のころに大井町線で乗った記憶があり、ぜひとも最後の1両をもう一度熊本まで行って乗ってみたいところですがそれもかないそうにありません。

そこで、同じ5000系を導入し、運用末期に東急時代の塗装を復元した岳南鉄道の5000系で当時を懐かしむとしましょう。

沿線で撮影した“青ガエル”こと5001編成。
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1997~8年ごろの撮影です。

岳南江尾駅で岳南オリジナル塗装の編成とならぶ青ガエル。
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5000

この当時の岳南鉄道は貨物輸送も盛んで、古い機関車が紙輸送のワムを牽引するシーンも見られましたが、今では貨物輸送も廃止され、旅客列車は単行となるなど、寂しい限りです。

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2014年2月15日 (土)

1996年雪の新子安駅

2月に入り、都心部でも数十年ぶりという大雪が2週連続で降りました。雪に弱い関東エリアでは交通機関の遅れや運休で大混乱。2月8日の雪では雪景色の撮影でしんしんと降る雪のなか撮影してきましたが、15日は朝から雨で出かける気にもなれないため、昔撮影した写真を載せてみます。

今から18年前、1996年2月8日の新子安駅です。前日から降った雪が積もったためカメラをもって出かけました。ホーム先端は混雑しているため、中ほどからの撮影です。

215系快速「アクティー」とアルファリゾート21の「リゾート踊り子」のすれ違い。
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今では見られない、215系の「アクティー」運用。短距離でも気軽に乗れた2階建て車両でしたが、2ドアでは乗降に時間がかかるとして、「アクティー」の運用から外されてしまいました。現在では定期運用は平日の“ライナー”のみとなっています。

165系「パノラマエクスプレスアルプス」
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つい先日、譲渡された富士急行でこの塗装が復活し、引退したこの車両のJR時代。隣にいる103系も懐かしいですね。

というわけで、京浜東北線の103系も。
1037
この当時、すでに約半数が209系に置き換わっていましたが、まだまだ103系も多数見られました。103系の雪景色もあと何回見られるかなという思いで撮影した記憶があります。

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こちらは少し場所を変えて横浜~東神奈川間の歩道橋から。右の架線柱などがごちゃごちゃしていますが何とか編成にかからずに撮影できました。

それから18年、その間の通勤電車は209・E231を経てE233系が首都圏の主力となりつつあります。今のうちに雪景色で撮影しておきたいのは、すでに置き換えが決まっている横浜線や南武線の205系でしょうか。

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