カテゴリー「国鉄」の記事

2022年6月 4日 (土)

碓氷峠鉄道文化むらでオートキャンプ

信越本線の碓氷峠区間の廃線後、横川運転区跡地にオープンした鉄道テーマパーク「碓氷峠鉄道文化むら」では、日程限定で園内でオートキャンプできるイベントを実施しています。鉄道好きでキャンプも楽しむ私にとってうってつけのこのイベント、5月の週末に行ってきました。

途中のスーパーやコンビニで買い出しをしてから碓氷峠鉄道文化むらに着いたのは14時過ぎ。まずは園内の事務所で受付を済ませ、缶バッジの参加証や温泉のチケット、駐車券などを受け取ります。園内には一般の入場者もいるので、車での入園は15時45分から。まだ時間があるので園内を見て回ります。
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ここへの来場は3回目になるので展示機の見学もほどほどに。ただ、前回は運休していたSL「あぷとくん」に乗ってみました。
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軌間610mmの小型タイプですが、煙も臭いも本物の蒸気機関車です。

さて、入場の時間が近づいてきたので一旦退場し、駐車場へ戻ります。車での入場口は正面ゲート左側奥にあります。すでに7台くらいの車が列を作っているので、後ろに続きます。入り口でスタッフの説明を受け、ハザードランプを点滅させて園内を走行し車両が展示してある広場へ。車は芝生に入らなければどこに停めてもよいとのことで、外周を回る通路の端に寄せて駐車しました。場内はフリーサイトの扱いとなっているので、好きなところに設営できますが、機関車のすぐそばはすでに先客がいるので、機関車を見渡せる広いスペースに設営することにしました。

設営開始がだいたい16時ごろ。このあと17時には温泉へ行くトロッコが出発するのであまりゆっくりとしている時間はありません。ひとまず大急ぎでテントを設営し、その間嫁さんにはお米の準備をお願いします。この時間ではもう強い日差しもなく、今日いっぱいは雨の心配はなさそうなので、タープの設営は省略し、なんとか時間には間に合いました。Dsc_0257
ここのキャンプの楽しみの一つが、トロッコで行く温泉。旧信越本線の下り線を使って主に週末の日中に運行されているトロッコ列車を、通常運行時間終了後にキャンプ利用者だけの貸し切りで乗車できて、終点にある温泉に入るというもの。17時に発車し、オープンデッキの客車で涼しい風にあたりながらしばしの碓氷峠体験。着いた先の温泉でゆったり温まります。今日はもう車の運転もしないので風呂上がりの生ビールがうまい!

温泉の滞在は1時間とちょっと。トロッコで戻ってくる頃には日も暮れて夜汽車の雰囲気でした。
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テントサイトに戻ってきたのは19時ごろ。展示中の機関車はヘッドライトが付き、ランタンの灯りもあって良い雰囲気です。 Dsc_0271

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今日の夕食は手っ取り早く鍋料理。まずはライスクッカーでご飯炊き。土鍋はキャンプ用ではなく自宅で使っているものを持参。野菜は自宅で切って持ってきたのでここでは煮込むだけ。
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風呂入った後に鍋だと、暑くて汗かくかなと思いましたが5月中旬の横川の夜は少し冷えるくらい(寒いというわけではありません)で、鍋でちょうどよかったです。

持ってきた食材は2合のご飯と合わせてちょうど全部食べ切りました。キャンプに来ると、ついつい多めに持ってきてしまいますが、残ってしまうと持って帰るのも大変だったりするんで、次回もこうありたいものです。

お腹もいっぱいになって後片付けも終わったところで、ふつうのキャンプ場なら焚火を楽しむところですが、今日はやや風があることと、せっかくライトを点けた機関車があるのだから、夜の展示機を見て回ります。
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ヘッドライトももちろんいいですが、テールライトの点灯も夜汽車っぽくていいですね。

ライトの点灯は22時ごろまで、一部の機関車は夜通し点灯してくれていました。

22時半ごろには就寝したんですが、日付が変わったころには風が強くなって、フライシートがバタバタと煽られています。一旦外に出て設営状態を確認。ペグやロープはしっかりと固定されていて大丈夫でしたが、タープは立てなくて正解でしたね。

翌朝7時ごろ、屋外展示場を走るミニ列車の走行音で目が覚めました。開園前の試運転をしてるのかと思ったら、キャンプ場利用者の子ども向けに走らせているようでした。子どもたちはみんな大喜びで乗っています。鉄道テーマパークのキャンプならではの光景ですね。

ここでのキャンプ場としての利用は一般の入園が始まる9時まで。あまり時間がないので朝食は撤収後に食べることにして用意はしてきませんでした。起きて着替えなどの準備ができたのが8時ごろ。そこから大急ぎで撤収します。

展開したもの全部車に積んで忘れ物もないことを確認したのが8時45分ごろ。なんとか時間に間に合いました。このあとアンケートを書いて退場します。アンケートを渡すときに次回入園割引券と記念ボールペンをいただきました。

 

以下、碓氷峠鉄道文化むらでの「キャンプイベント」に参加した感想です。

公式ホームページなどには「キャンプ場ではないので、キャンプに関する設備はありません」とありますが、水場やトイレ、灰捨て場など最低限の設備はあるので不自由は感じませんでした。スタッフの方々も常駐しているので安心です。緊急避難場所としてお座敷列車「くつろぎ」の車内が開放されているので、いざという時にはここにシュラフを持ち込んで寝ることもできそうです。ただし、飲料自販機以外の売店の営業はないので食材や炭・薪など必要なものはすべて用意していく必要があります。

設営・撤収の時間は短くて慌ただしかったですね。もう少し早く入場・ゆっくり退場ができればいいとは思いますが、ここがキャンプ場ではなく一般のお客さんもいる以上難しいでしょう。それでも、機関車を前にしてキャンプを楽しむという、この施設ならではの体験は充分楽しめました。また「ナイトパーク」など特別なイベント時でないと見られない夜間にヘッドライト・テールライトを点灯した展示機を見ることもできますし、貸切トロッコで温泉に行くというのも他のキャンプ場にはない体験です。また、横川駅に隣接した施設なので、電車でキャンプという楽しみ方もできそうですね。実際に大きな荷物を背負った親子連れが車なしで利用している様子も見られました。ぜひまたの機会にキャンプで利用してみたいと思います。

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2022年2月 6日 (日)

懐かしの駅スタンプラリーに参加

2020年2月の「ヘッドマークスタンプラリー」以来、2年ぶりにJRのスタンプラリーに参加してきました。

今回は、国鉄時代の1980年に全国約740の駅に設置された「わたしの旅」をテーマにしたもの。大宮支社の開催だった「ヘッドマークスタンプラリー」と比べて、スタンプ設置駅が1都5県にまたがっているため、すべて集められるかわかりませんがとりあえず初日は都区内パスを使って都区内の駅を集めてみました。
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最初は渋谷駅から。スタンプ台紙を入手して1つ目のスタンプを押印。その後、山手線内回りのスタンプ設置駅でスタンプを集め、東京駅で10駅達成。
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今回も娘と2人での参加です。指定された「ニューデイズ」で500円分の買い物をすると、10駅賞をもらえる仕組み。お菓子や飲み物など、2人で1000円分の買い物をしてもらったのが以下の賞品。

50駅踏破用スタンプ帳と復刻時刻表風オリジナルノートです。
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賞品をもらった時点でお昼を過ぎていたので、八重洲地下街のレストランで昼食休憩をしながら中を見てみました。

オリジナルノートは「わたしの旅」スタンプ設置駅情報が掲載された1980年11月号の時刻表の一部が復刻掲載されています。巻頭の路線図や東北本線・常磐線・青函航路の時刻表のほか、周遊券や主な駅の構内図などがあります。Dsc_1958
写真は復刻掲載された常磐線のページ。青森行きの寝台特急「ゆうづる」が季節列車も含め7本も!そのほか、急行「十和田」が3本に東北本線では「あけぼの」「はくつる」「八甲田」「津軽」などを合わせ、毎日最大15本もの列車が上野と青森の間を結んでいたことが読み取れます。

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こちらは周遊券のページ。私も高校生から専門学生のころ、東北ワイドや道南ワイド、北陸ワイドや京阪神ミニで乗り鉄の旅をしたのを思い出します。このほか、国鉄時代にスタートした「いい旅チャレンジ20000キロ」キャンペーンや「青春18のびのびきっぷ」に関するコラムもあって、この復刻時刻表風ノートをもらうだけでもスタンプラリーに参加する価値があると感じました。

午後は総武快速線に乗り馬喰町へ。その次は秋葉原ですが、ここは都営新宿線でショートカット。岩本町から徒歩で秋葉原へ向かい、上野・日暮里・北千住・赤羽・池袋とまわります。さらに山手線の駅と中央線の駅を押して東京駅に戻り、最後に蒲田を押したら18時を回っていました。都区内パスで回れる駅すべて押印し今日は終了。

次回は休日おでかけパスを使って、新幹線や特急なども駆使して広範囲の駅を回ろうかと思いますが、あと2回は出かけないと全駅回るのはむずかしそうですね。

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2021年7月25日 (日)

国鉄時代の鉄道部品コレクション

先日、高校時代の友人から「鉄道部品があるけどいらないか?」という連絡をもらい、久しぶりにその友人に会ってきました。見せてもらうと、国鉄時代の車両や駅で使われてきた貴重な部品の数々。なんでも、これらは国鉄の関係者だった友人の親戚が保有していたもので、その親戚が亡くなり友人がコレクションを預かったものだそうです。

これはディーゼル機関車の状態表示灯でしょうか。
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旧型客車スハネ16 2113の車内の形式プレート。
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裏面ははがした跡がみられる他、以下に紹介する駅名板などの鉄道部品と一緒に保管されてきたことからレプリカではなく、実車に取り付けられていた実物かと思われます。
スハネ16 2113は昭和初期から戦中にかけて製造されたスハ32を、何度か改造し改番を繰り返してきた車両です。昭和50年代初めには廃車になったそうです。


こちらは駅のホームの柱に取り付けられる縦長の駅名や路線の案内板です。
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国鉄末期の頃の駅名板はラインカラーの縁取りがあるタイプ(上の写真)が標準だったので、黒や紺色地に白文字で書かれた駅名板は古いタイプのものかと思います。
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尾久駅のものはJRマークのシールが貼られているので、民営化後もしばらくは使われていたようですね。

国鉄のものに混じって1枚だけ東武鉄道の小泉町駅があります。
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これは旧型客車のテールランプでしょうか。
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最後は鉄道気象告知板。
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真ん中の黒い部分に警戒すべき内容を書き込んでホームに掲示し、運転士に告知していました。

これらのコレクション、ネットオークションやフリマアプリでは高値で取引されているものばかり。駅名板は2万円以上で取引されているものもあり、それらを伝えたうえで遠慮したものの、友人は鉄道に興味はなくこれらの価値のわかる人に譲りたいとのことで、ありがたく譲り受けることにしました。

友人は邪魔になるようなら処分してもいいよと言っていましたが、ご遺族や友人の意向を受け大切に保管したいと思います。

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2013年1月29日 (火)

山手線の103系

山手線では、ウグイス色103系電車運転開始50周年を記念して「みどりの山手線ラッピングトレイン」を1年にわたって運転しており、当ブログでも紹介してきました。

ではその山手線103系の写真はないかなと探してみると、これがほとんどないんですね。首都圏で103系を運用していた路線のうち、山手線は205系の集中投入により早い段階で置き換えが進み、国鉄がJRになって1年後、まだ昭和の時代の1988年6月に最後の編成が引退しています。

それに、私は当時小学生で、今のデジタルカメラと違いフィルムを大切に使っていた時代において、珍しくもない日常の通勤電車を撮影しようという考えなどありませんでした。

そんな山手線103系ですが、わずかに撮影していた写真がこれ。
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山手線103系 1987年3月30日 田町駅
「さようなら日本国有鉄道」のヘッドマークをつけた103系です。この2日後にはJRが発足し、先頭のクハ103には「JRマーク」をつけて運転されるわけですが、1年3ヶ月後には撤退することを考えると、JRマークをつけた山手線103系というのは、今思えばレアだったと言えるかもしれません。

さて、山手線から103系が撤退してからさらに2年後、「テックトレイン」というイベント列車で103系が帰ってきました。
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103系「テックトレイン」 1990年10月27日 新宿駅

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103系「テックトレイン」 1990年10月27日 有楽町駅
当然ながら山手線には103系の配置がなかったため、埼京線と京浜東北線の車両を使っていたそうです。

このときは最新型だった205系も追われる身となり、山手線での103系はすでに2世代前の車両となってしまいました。よく「明治は遠くなりにけり」という俳句をもじって「昭和は遠くなりにけり」という表現を目にすることがありますが、まさに103系の走っていた時代は遠くなりつつあるようです。

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2011年1月 6日 (木)

大井川鉄道の旧型客車

  2010年12月3日、富士山静岡空港で撮影した続きです。

富士山静岡空港は東海道線の金谷駅から直線距離で約6キロの場所にあります。金谷駅と言えば、SLの定期運行をしている大井川鉄道の始発駅。せっかく来たのだから、少しでもSL列車に乗ってみたいと思い、ダイヤを調べておきました。

駐車場のある新金谷駅に車を置いて、普通列車で家山駅まで行き、そこで上りのSL列車を待ちうけます。家山までの電車は元近鉄特急の16000系。茶畑と大井川の流れる景色の中をゆっくりと移動し家山駅へ。SLの待ち時間を利用して駅周辺を散策しようとしたら急に大雨が降りだし、しかたなく駅の待合室で待つことにしました。

人気のない待合室でしたが、やがて観光バスが到着し、団体客がやってきました。どうやら私たちと同じように一部区間でSL列車に乗るコースになっているようです。

もうすぐSLの時間なので、団体客と一緒にカメラを準備して待ちますが、機関車は逆向きの運転だし雨が降ってるしで1枚も撮らずに終わりました。それよりも、機関車の後ろに連なる旧型客車の方に関心がいきます。

団体客はいるものの、客車は7両編成で平日のため、空席には余裕があります。車両によって混雑具合にばらつきがあり、全席指定の列車ではあるものの、「空いてる席に自由に座っていい」とのことだったので、空いてる車両に乗りました。

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車内は私たちを含めわずかに4人。旧型客車のSL列車でこの空席は毎日運転の大井川鉄道ならではです。ともあれ、十数年前まで当たり前だった旧型客車の旅をつかの間楽しめました。

30分ほどの乗車時間でしたが、もうめったに乗ることのできない旧型客車で、しかも極め付けに空いている車内なのでいろいろと写真を撮りました。Dsc_2882
年季の入った窓を開閉するための金具。長く使われて色が変わっています。

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青いシートモケットが懐かしい座席。昔の国鉄の電車は通勤形も特急形もこの色でしたね。頭上の網棚は文字通りのもの。

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デッキの丸型ライト。蛍光灯にかわっていますが、この形は昔からのもの。

雨が上がったので、窓を開けて機関車を撮影してみました。
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カメラを持って車内を撮影しているうちに、もう新金谷に到着です。短い時間でしたが、過去にタイムスリップしたかのような旧型客車の旅を楽しめました。JRで運転される短時間で売り切れてしまうようなイベント列車では絶対に味わえない体験でした。

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2010年12月14日 (火)

梅小路蒸気機関車館

11月21日、京都旅行2日目はとてもいい天気です。ホテルをチェックアウトして最初に向かったのは梅小路蒸気機関車館です。ここに来るのは2回目ですが、リニューアルされており旧二条駅の駅舎が展示館になっています。

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この日は「関西文化の日」とかで、入館無料となっていました。そのためか大勢の家族連れでにぎわっています。一通り展示を見てから実車の展示場へ。

C61牽引の「スチーム号」が運転されているので、短いSL列車を楽しんでみます。
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久々に蒸気機関車の汽笛を聞けました。近いうちに磐越西線のC57でも乗りに行きたいものです。

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こちらは静態保存のC61 1号機。旧型客車を連結した状態での展示でした。

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D52 468とC59 164。

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8630とD51 200。D51は動態保存機で、以前に来た時はスチーム号の牽引をしていました。

扇状庫内にあった鉄道模型の展示。「トワイライトエクスプレス」や281系「はるか」が置いてあるのはわかるのですが、通勤電車はJR西日本の最新鋭321系ではなく、なぜかJR東日本の京浜東北線用E233系。ちなみに梅小路蒸気機関車館はJR西日本の運営です。Dscf0635

午前中いっぱいはここで展示を見学して、午後は京阪電車で大阪へと向かいます。

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2010年7月13日 (火)

旧美幸線をトロッコで走る

深名線沿線から、日本海側にでてこの日は稚内泊まり。夕食はタコしゃぶに舌鼓を打ち、温泉でゆったり。

翌日は日本の最北端、宗谷岬から南下していると、不意に蒸気機関車と戦闘機が保存されているのが見え、思わず車を止めました。

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機体に記された番号は46-8568。かつて航空自衛隊で使用されていたF-104です。

その向かいには、9600形蒸気機関車がF-104と対面する形で保存されています。Dscf0435

9600形49648号機。

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さて、ここからが本日の本題に入ります。

宗谷本線の美深駅から分岐して仁宇布駅まで開通していた旧国鉄美幸線は、日本一の赤字路線として知られており、国鉄末期の1985年に廃止されました。現在では、廃止された路線の一部を使ってエンジン付きのトロッコで走ることができます。

NPO法人「トロッコ王国」が運営し、仁宇布駅跡と美深寄りの高広の滝付近までの片道約5キロを40分ほどで往復します。単線で途中での行き違いができなく、最初の車列が出発したらそれが戻ってくるまで次の車列が出発できず、また年々人気が出て休日には2~3時間待ちになることもあるそうですが、今日は月曜日なので、昼過ぎに行ってもすいていました。

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すいているというか、他の利用者は1名だけ。私たちが着いて乗車の手続きを済ませるとすぐにトロッコへと案内されました。

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トロッコというよりは、保線用の簡易モーターカーのような車両です。運転操作は簡単で、右手のレバーがアクセル、ブレーキは足で踏みこみます。

出発すると白樺の林立する中を走り、途中では数か所川を横断するポイントもあります。風を切って走るトロッコはとても気分爽快!有名なテーマパークのアトラクションにも引けを取らないトロッコです。

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終点に着いたら、この後来た道を引き返します。数年前に来た時は、係りの人が1台ずつターンテーブルで向きを変えていましたが、現在では終点がループ線になっていて、そこを通過して向きを変えます。

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通常の1067mm軌間ではありえないカーブをゆっくりと通過します。

後続の車両がループ線に入るのを待って係りの人がポイントを操作し、仁宇布駅へと戻ります。

北海道の自然を肌で感じることのできる、とても楽しいトロッコでした。道北をドライブする機会があるなら、多少遠回りになっても寄り道したいくらいおすすめです。

ところで、仁宇布駅にはなぜか581系寝台電車が1両だけぽつんと置かれています。

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車両番号は、サハネ581‐19。国鉄がJRになる直前に北海道に転属となった車両です。改造して使う予定があったそうですが、結局そのまま廃車になり、ここにやってきたということですね。

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寝台設備を活かして簡易宿泊施設とする予定だったんでしょうか?外から見る限りではあまりいい状態とはいえず、保存というよりは放置されているような感じでした。

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2010年5月23日 (日)

JRおおみや鉄道ふれあいフェア

初夏を思わせる暑い晴れの5月22日土曜日。毎年恒例のおおみや鉄道フェア、数年ぶりに行ってみました。

今年の目玉はJR東日本と貨物のEF510共演でしょうか。特に貨物のEF510は富山を拠点に日本海縦貫線での運用で、通常関東地方では見ることができないため楽しみにしていました。他にEF65 535とEF80が展示されています。

朝は9時から私の住む社宅の一斉清掃日のため、それが終わった後に出発しました。会場には12時ごろに到着。さっそく機関車展示場へと向かいます。機関車は通電状態ではないようでしたが、全機ともパンタグラフを上げての展示です。
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会場内で一番撮影しやすい位置にとめられていたEF65 535。ヘッドマークは、2年前の引退時につけられていた惜別のマークが付いていました。私も鉄道趣味を再開して間もなく撮影していたのでよく印象に残っています。

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逆エンドは東海道ブルートレインのヘッドマークを時間で区切って交換していました。

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隣に並んでいるのはEF80 36。新たに再塗装されきれいな状態で展示されていました。EF80はJR発足時にはすでに全車廃車で形式消滅しており、私は現役時代に撮影することはありませんでしたが、こうして昔の様子を知ることができるのはうれしいことです。ただ、規制のロープが近すぎてEF65のような形式写真が撮影できないのは残念でした。

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「カシオペア」のヘッドマークを付けたEF510-501。

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逆エンドは「北斗星」でした。もうすっかり見慣れたEF510-500ですが、北斗星のヘッドマークを付けた姿は初めて見ました。なかなか似合っていると思いますがいかがでしょうか・・・。

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そして、今回お目当てのJR貨物EF510。東日本の青と貨物の赤がとても対照的です。

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本線を走るEF65PFの貨物と並べて。

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赤いEF510が関東地方にきた証に、こちらはE231系との並び。

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もうひとつ、会場で試乗用のE259系と。

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少し離れた所から、今回展示された機関車4両を一緒に写すことができました。

機関車展示を撮影した後は工場の中も見てみました。D300_035
普段は見られない、EH500の連結面。こういう風になっていたんですね。

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JRF更新色のEF64 1007は「あけぼの」ヘッドマークつき。

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機関車のナンバープレートは入札制で、最低価格は10万円から。右下のEF15 34なんていいお値段が付きそうです。

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架線のないところには「さいたま新都心」のヘッドマークをつけたEF65 1063。

展示会場から少し離れた奥まった所には廃車になった301系が置かれていました。
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行先表示は「快速 高田馬場」のレアな表示で。ブルーの帯がかなり色あせていました。

一通り会場を見て回り、13時過ぎには会場をあとにしました。

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2009年8月12日 (水)

"東京電環"ゆきの切符

「東京電環」とは聞きなれない言葉かと思いますが、これを今の言葉に置き換えると、「東京山手線内」ということになります。

東京電環は、”東京電車環状線”の略で、1972年に東京山手線内という名称に変更されました。私のコレクションの中に、この東京電環の文字が入った切符が2枚あります。

まずは昭和40年4月28日発行、相模湖から東京電環ゆきの乗車券。Img_0001_2

もう一枚は、昭和40年3月26日発行の富士吉田から東京電環ゆきの連絡乗車券。
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「東京電環内下車前途無効」の表示は裏面にあります。

現在乗車券で東京山手線内が適用されるのは東京駅からの距離が101~200キロの区間のみ。201キロ以上は「東京都区内」ゆきとなりますが、この当時は51~100キロが東京電環ゆき、101キロ以上が東京都区内ゆきとなっていたため、東京駅からの営業キロが53.1キロである相模湖駅では、東京電環ゆきとなるわけです。

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2009年8月 7日 (金)

45年前のきっぷ

ブログを運営しているものとしては、毎回定期的に、できれば毎日更新を心掛けたいものですが、いつも新しいネタを用意できるものでもありません。

私は土日祝日に休みの仕事をしており、1日の休みで1週間分のブログネタを時もありますが、毎回そのような乗り物趣味の活動をしているわけでもありません。そうなるとこのブログのネタも途切れ気味になってしまい、更新が滞ることもしばしば。

そこで、新たに「コレクション」というカテゴリーを作ってみました。以前はよくきっぷを集めており、記念切符や硬券を集めていました。現在は、硬券の廃止により切符の収集はやめましたが、保管しているアルバムからコレクションの一部をご覧頂ければと思います。

で、今日の切符は昭和39年11月23日、逗子から横浜・桜木町ゆきの片道乗車券です。
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もちろん自分で買ったものではありません。なぜか家にあったものを、私が譲り受けたものです。昭和39年というと東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された年です。今やICカードの普及で切符を買わずに電車に乗れる時代になりましたが、この頃は短距離の切符でも窓口で買わなければならなかったんですね。

さて、この切符で気になるのは、「通用発売日共2日」とあること。現在の逗子~横浜間なら東京近郊区間で当日のみ有効となるところです。さらには、「下車前途無効」の文字がなく、途中下車もできたようです。この当時は制度が違っていたようですね。

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