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2022年3月20日 (日)

JR・東武直通特急に乗る(2005年4月5日)

2005年3月18日、この日より、JR新宿と東武日光・鬼怒川温泉を結ぶ直通特急が運転を開始しました。かつては日光への観光客輸送でしのぎを削った両者ではありますが、時代は変わって両者の思惑が一致し、それぞれの特急車両が相互に乗り入れるようになりました。今回の記事は、運転開始から2週間余り経った4月5日にこの直通特急に乗ってきた乗車記をご紹介します。ただ乗るだけではつまらないので温泉に入って帰ってくるというプランです。

以下はすべて当時のままの文章です。


4月初めの水曜日、今日は平日だが休暇を取れたので、通勤のサラリーマンを横目に足取りも軽い。横須賀線の湘南新宿ラインを待っていては間に合わないので、品川経由で新宿まで行く。品川には、これから乗る「日光1号」の485系車両が停車していた。品川から出発して回送で始発の新宿に向かうようだ。そういえば、運転開始前の試運転では東武のスペーシアも品川まで来ていた。

これから山手線に乗る身としては、どうせなら品川から乗せてくれればいいのに・・・新幹線からも乗り換えられるし、京急を介した羽田空港からも・・・と思ったが、朝早くではそんな需要はないか。

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成田エクスプレスの後に入線
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新宿駅に入線した「日光1号」JR485系

 

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JRの車両に「東武日光」の行先表示
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JRの切符に印字された「東武日光」「スペーシア」の文字が目新しい。

山手線で先回りし、新宿ではドトールコーヒーでアメリカンコーヒーをテイクアウトしてホームで待つ。3番ホームには成田エクスプレス7号が発車を待っており、日光1号はその発車のあと、入れ替わるようにやってきた。朝のラッシュ時でホームは込み合っており、ドアが開いて指定の席に座るともう発車だ。

車内は東武乗り入れ用に改造されており、シートピッチがとても広く取られている。足を伸ばしてくつろげるが、窓割りと合っていない座席もある。幸いにも、指定された席は窓の間の柱にあたることなく景色を見ることができた。

新宿発車時は、乗客は数えるほど。最後部6号車は数名しか乗っていない。池袋で少し乗ってきたがまだ空席が目立つ。平日の朝、観光地へ向かう特急はこんなものか。湘南新宿ラインのコースをたどって東北本線へ。京浜東北線の車庫である浦和電車区は、朝ラッシュ時のため電車が出払っており、広々とした構内を見渡せる。すれ違う上り列車はどれも満員、優越感に浸れるひと時である。

JR線内最後の停車駅となる大宮には宇都宮行きと同時入線。同じ線路に向かうわけだが、もちろん特急であるこちらが先に発車。東北本線内は結構スピードを出す。沿線にはところどころで桜を見ることができてきれいだが、ちょっと雲行きがあやしいのが気になるところ。

大宮を発車して約20分、東武線との接続駅、栗橋には8時ごろに到着。ここでは新設された接続用の線路に入り、一旦停車。JRの乗務員から東武鉄道の乗務員に交代する。2分ほどの停車でいよいよ東武線に入る。発車後すぐに一時停電。これはJRと東武がそれぞれ供給している電力を分けているために、そのつなぎ目に架線の電気が流れていない区間(デッドセクション)があるためだ。セクションを徐行で通過し、再び電源が入るとまた加速する。

東武線最初の停車駅は栃木。JR両毛線の駅でもあるため、時刻表や停車駅の案内では「(東武)栃木」というように表示されている。ここで停車中に車内放送があり、今日は朝に蒲生駅で発生した人身事故のためにしばらく停車するとのこと。10分遅れで栃木を発車した。

栃木を出るとすれ違う電車も少なくなり、ローカル線の雰囲気がただよう。通過する駅には、古びた木造の駅舎が残っている駅が多く、機会があれば各駅停車で途中下車してみたいと思う。

下今市に停車し、遅れを持ち越したまま終点の東武日光に到着。平日だというのに、駅員や観光協会の職員と思われる人がチラシや土産のせんべいの試食を配っていた。

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栗橋でのデッドセクションで一時停電中
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東武日光駅に到着

さて、このあと一旦改札を出てから入りなおし、上りの普通列車で下今市まで戻る。下今市では、鬼怒川温泉行きの特急に乗り、そこから接続する「AIZUマウントエクスプレス」に乗ることにしている。下今市で特急券を買おうと窓口に行くと、特急は遅れているので、停車中の普通列車に乗ってくださいとのこと。ホームには会津田島行きの普通列車が停車しており、これまた遅れている日光行き特急の接続を受けて発車した。30分ほど遅れているそうだ。

さて、せっかく出かけてきたのに特急で往復するだけではつまらない。そこで、これからの予定は、鬼怒川温泉で「AIZUマウントエクスプレス」に乗り換え、会津高原尾瀬口まで乗車。駅近くの温泉に入ったあと、上り列車で上三依塩原温泉口に行き、そばを食べて、上りの「AIZUマウントエクスプレス」に乗ることにしている。しかし、この遅れている会津田島行きだと、「AIZUマウントエクスプレス」の発車時刻には間に合わない。ちょっと気になったが、鬼怒川温泉では隣の線路に、「AIZUマウントエクスプレス」が停まっていた。おそらくはこのあとにくる浅草からの特急を待っているんだろう。無事に乗り換えることができた。

「AIZUマウントエクスプレス」は2両編成。会津鉄道が所有するディーゼル特急型車両で、野岩鉄道と、短い区間だが東武鉄道にも乗り入れている。この車両は、もともと名古屋鉄道(名鉄)の車両で、JR乗り入れ用の特急車両として登場したが、特急の廃止により、会津鉄道にやってきた。会津鉄道に来ても、土休日には磐越西線の喜多方まで乗り入れるのでJR乗り入れの役割は変わっていない。会津鉄道では全車自由席の快速列車として運転されており、特急料金が要らないのがうれしい。

浅草からの特急の接続を受け、「AIZUマウントエクスプレス」は約25分遅れの10時23分に発車。東武線内はカーブが多く、ゆっくりと走る。車窓からは鬼怒川温泉の旅館街が目に入るが、不景気のあおりか、閉鎖された旅館が目立ってわびしさが漂う。中には廃墟と化した建物もあって、このままでは鬼怒川温泉のイメージが下がってしまうだろうと心配する。

新藤原からは第三セクターの野岩鉄道に乗り入れ。昭和末期に開通した割と新しい路線でスピードも上がる。新藤原発車後は早速車内改札があり、切符を見せると、「遅れてすみません、11時10分ごろに着きます」と教えてくれた。言い回しは少し違ったかもしれないが、とても好感が持てる。

トンネルを抜けるたびに沿線には残雪が多くなっていき、まだまだ春は遠そうだ。会津高原尾瀬口で下車。野岩鉄道と会津鉄道の接続駅だが、車両は直通し、途中駅のよう。降りる人も、自分の他に一人だけだった。この駅は、JR・東武直通特急運転開始のダイヤ改正の日に「会津高原」から駅名を改称している。その前の国鉄会津線時代には、昭和61年まで「会津滝ノ原」駅だった時代もあり、2度目の駅名変更である。

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会津高原尾瀬口に着いた
「AIZUマウントエクスプレス」
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駅付近の民宿で、日帰り温泉利用する
源泉かけ流しが気持ちよい

駅員に切符を渡すときも、「本日は遅れまして申し訳ありません」と、丁寧に話される。遅れの原因に関しては、野岩鉄道や会津鉄道は関係ないのだが、相互乗り入れをしている鉄道全体のことと捕らえ、先ほどの車掌といいお客さんを大切にするという姿勢が伝わってくる。

ここはもう福島県。こじんまりとした駅舎には自動券売機などというものはなく、なんだか遠くに来てしまったような感覚になる。これでも、東京(浅草)への直通電車もある-それどころか、日中はほとんどが浅草行き-のだが、駅の周りは山奥の田舎といった雰囲気だ。

ここでは、あらかじめ調べておいた日帰り入浴のできる民宿「夢の湯」へと向かう。雨が降る中、駅前にかかる橋で川を渡り、突き当たりの国道を左に曲がる。この国道は会津たかつえスキー場に行くときに通った道路だ。交通量は非常に少なく、すぐに目的の民宿に着いた。

玄関を開けるとすぐにフロントがあり、ここで入浴料を支払う。他に客はいないらしく、館内はひっそりとしている。温泉は露天風呂があるもののしばらく中止のようで残念だが、内風呂も窓が大きく外を見ながらのんびりと浸かることができる。ちょうど電車が会津田島に向かって走っていく様子が風呂から見られた。

湯船に出たり入ったりして30分ぐらいのんびり過ごしているとお腹が減ってきた。ちょうどお昼時でもあるが、このあとはそばを食べることにしている。しかし、次の電車まで時間があるし、それまで待てそうにない。そこで、駅前にある「憩いの家」というお土産屋にある食堂で天ぷらうどんを食べる。麺類なら消化が早いし、そばなら多少お腹が減っていなくても食べられるだろう。あったかいうどんは体がとても温まり、温泉に入ってきたばかりなので汗をかいてしまう。

駅に戻って、次は上三依塩原温泉口まで。鬼怒川温泉方面の電車は時刻どおりにやってきた。来たときもそうだったが、なぜか会津高原尾瀬口駅は右側通行。そして二駅目の上三依塩原温泉口で降りる。この駅も会津高原尾瀬口と同じく「上三依塩原」から改称された。塩原温泉というと、那須塩原からバスというイメージがあるが、この駅からバスに乗っても20分くらいで着いてしまう。

さて、この駅で降りたのは、近くにおいしいそば屋があるとのことだったが、事前情報では冬季休業らしい。それでも、なにか他に店はあるだろうと思って降りてみた。しかし、駅前にはそば屋どころか商店すら見えない。人気もないのだ。少し歩いてみたが、雨が降っておりあまり遠くへ行くのも面倒だ。仕方なく次の電車まで駅で待つ。切符を買ってホームで待っていたが、あまりに寒いのでストーブのある待合室で暖をとった。本来の予定では14時29分発の「AIZUマウントエクスプレス」に乗ることにしていたが、1本早い普通列車に乗って帰りの特急の始発である鬼怒川温泉に向かうことにした。

2両編成の列車はこれも浅草行き。時間通りに発車したが、途中の川治温泉で、行き違いとなる下り列車が遅れているため、到着を待つことに。しかし、いくら待っても下り列車はやってこない。長くなるならその先の駅まで進めないかと思うが、結局30分くらい遅れて下りが到着。新藤原では手際よく2両連結して、4両編成で鬼怒川温泉に到着。

この時点で、新宿行き特急「スペーシアきぬがわ6号」の発車時刻は過ぎているが、ホームの反対側で待っていた。この列車は、時刻表ではこのあとに来る「AIZUマウントエクスプレス」と接続することになっているため、その列車が来るのを待っているのかと思ったら、15時22分ごろ、接続をとらずに20分遅れで発車した。乗り入れの都合上、あまりJRに遅れを持ち込めないと判断したのだろうか。当初の予定通りの行動をとっていたら「スペーシアきぬがわ」には乗れなかったところだった。

鬼怒川公園を発車後、次の小佐越で早くも行き違いのため停車。下り列車はJR485系の「きぬがわ5号」だった。その後新高徳でも「スペーシア」2本と行き違い。かなりダイヤが乱れているようだ。下今市からは複線になるので、行き違い停車はなくなるが、先行列車があるのか、あまりスピードが出ない。どこかの駅で普通列車を追い越してから、ようやく特急らしい走りになった。

この列車は、時間帯がいいのか朝の下りに比べて乗車率がよく、早くも定着しつつあるようだ。行きと同様、東武線内は新鹿沼と栃木に停車し、栗橋からJRに入る。車内放送では、栗橋からJRに入りその際一時停電すると話していたのに、いざ停電すると不思議そうに思う声が聞こえてきた。栗橋のJRホームには上りの湘南新宿ラインが停車しており、スペーシアの発車を待っているようだ。JR線内は遅れを取り戻すかのようにスピードを上げ、大宮には15分遅れで到着。しかし池袋の手前でしばらく信号停車し、終点の新宿には22分遅れの17時41分に着いた。

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スペーシアの新宿行き
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新宿駅で埼京線205系と並ぶスペーシア

新宿駅でのスペーシアはまだ違和感を感じる。でも、きっと東京駅での伊豆急「リゾート21」がもう珍しくないように、だんだんと見慣れてくるのだろう。このあとスペーシアはまた鬼怒川温泉へと向かうのだが、遅れているためすでに折り返しの発車時刻は過ぎている。こちらも、20分遅れで発車するそうだ。夕方のラッシュでホームのやりくりも厳しいことだろう。帰りの通勤客の人ごみを避けるように、湘南新宿ラインで家に帰った。


運転開始から17年、JRの車両は485系から253系にかわり、東武100系も後継となるN100系の登場が予定されています。今後の変化が気になる列車ですね。

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2022年1月23日 (日)

ありがとう日本の翼 YS-11搭乗記(2006年2月18日)

小学生のころからの鉄道ファンだった私ですが、以前は航空機のことはさっぱり興味がなく、知識もありませんでした。そんな私が航空機に興味を持つきっかけとなったのが日本初の国産旅客機「YS-11」でした。2006年にYS-11が日本の航空会社から引退する前に、駆け込み的に乗ることができました。今回は、当時のYS-11搭乗記をご紹介します。

以下はすべて当時のままの文章です。


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日本初の国産旅客機「YS-11」。1962年(昭和37年)に第一号機の初飛行以来、機体を丈夫に設計してあるため40年以上に渡って日本の空を飛び続けてきた。1962年といえば、東海道新幹線が開通する2年前、在来の東海道線は151系「こだま」が東京と大阪の間を結び、蒸気機関車が幅を利かせていた時代。

 
YS-11に関しては、いままでさまざまなメディアに取り上げられていた。最近ではNHKの「プロジェクトX」でも2回に渡って放送された他、設計や製造に関わった人が書いた本を読んだり、ドキュメンタリーの番組を見たりしているうちに、特に航空機ファンではない私でもYS-11に関しては親しみを深めていった。

そのうちに、ぜひ一度YS-11に乗ってみたい、そう思うようになったがあまり航空機に関する知識は持ち合わせてなく、なかなか行動に移せなかった。21世紀になってもしばらくは羽田~大島線に就航していたほか、大阪~徳島など割と利用しやすい路線でも使用されていたが、地方空港のジェット化や代替新型機の登場により徐々にその数を減らし、衝突防止装置の設置が義務付けられるのをきっかけに2006年には日本の空から引退することが決定した。

YS-11に乗るなら今しかない!ということで、現在就航中のYS-11のフライトを調べてみると、福岡~徳島・高知・鹿児島の路線が利用しやすい。利用するならバーゲンフェア航空券の利用期間の土日がいい。しかし、やはり注目を浴びているのか、YS-11で運行する便だけ早々と満席になってしまう。そのなかで土曜の昼に鹿児島から福岡に行く便に空席があり、予約することができた。

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昼前の鹿児島空港。展望デッキに行ってみると、少し離れた駐機場にお目当てのYS-11が2機停まっていた。保存機でない、生きたYS-11を実際に見るのは初めてだ。いや、実際にはどこかで見たことがあるかもしれない。しかし、YS-11であることを知って見るのは少なくとも今日が初めてだ。

ちょうど12時ごろ、搭乗口となるゲートにランプバスが到着し、改札を通ってバスに案内される。駐機場には3機のYS11が停まっており、YS11最後の砦といった雰囲気だ。
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ところで、バスの運転手には案内すべき飛行機の連絡がうまく伝わっていなかったらしく、機体整備の係員に「福岡行きはこれですか?」と聞いていた。

今日の福岡行きJAC3648便は登録番号JA8768で運行。この機体は、1970年(昭和45年)に初飛行し、インドネシアの航空会社に引き渡されたが、1978年(昭和53年)に東亜国内航空(その後の日本エアシステム、現在は日本航空に統合)に移籍し日本に帰ってくるという経歴を持つ。
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バスを降り、飛行機に乗る前に写真撮影。一眼レフのカメラを持った航空ファンもいてさながら撮影会のよう。YS11の引退を知ってか知らずか、一般の乗客も携帯電話のカメラで写真に撮ったりしていた。
Img_08281今回搭乗した福岡行きJAC3648便 機体番号はJA8768

Img_08271隣にいたのはJA8717

一通りの撮影を終えて機内に乗り込む。指定された席は4A。この席は、プロペラの動きと地上の景色どちらも見ることができるという情報をインターネットで調べ、この席を選んでおいた。

Img_08361YS-11バージョンの”安全のしおり”で描かれているのは、YS-11では実在しないJAL塗装

席に座ると、まず窓の低さに驚く。普通の姿勢では目線は窓の上にあり、そのままでは景色やプロペラは見えない。そこで、少し屈むか着座位置を前にずらして頭の位置を下げるかしなければならない。

 機内は2+2で中央に通路がある4列シート。しかも頭上には荷棚があるのだからまるで在来線特急にでも乗っているよう。ただし、安全のため荷棚には荷物を載せることはできない。機内持ち込みの荷物は前の座席の下に置くことになる。
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出発時間になり、タラップが自動で格納され、まず右側のエンジンから始動。プロペラの回転が安定したのを確認したように間をおいてから、左側のエンジンも始動。エンジンの真横の席なので、ジェット機とは違うエンジン音や振動を肌で感じることができる。

離陸の準備も整って、滑走路に向けて地上走行。そして一時停止してからエンジン出力を上げてテイクオフ。ジェット機のように加速時に座席に押さえつけられるようなことなく、ふわりと浮く感じで離陸した。
Img_08371時代を感じさせる座席上のスイッチ 真ん中の赤いボタンは、「スチュワデス呼び出し」

鹿児島といえば桜島、空から桜島が見えることを期待したが、方角が違うのか、見えるのは山ばかり。しばらくすると海が見え、八代海に浮かぶ大小さまざまな島を見下ろす。
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島と島には橋がかけられているものもあり、それらを一つずつドライブするのも楽しいなと思う。

さらに進むと、雲仙普賢岳が見えてきた。
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1991年の大噴火は記憶に新しいが、空からだと流れ出た火砕流の爪あとが15年たった今でもはっきりと残っているのが確認できた。

福岡県上空に入り、地上は街並みが見えることが多くなった。自分の知っている街ならもっと楽しめるだろう。いまさらながら、羽田からYS11に乗って見たかったと思う。

特徴的な川の真ん中にぽつんと赤い橋が見えたので写真を撮っておいた。
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これはあとで調べたことだが、この橋は廃線になった旧国鉄佐賀線の筑後川橋梁で、橋の真ん中が切れているのは船の通行のために通行部分が上下する昇開橋なのだそうだ。現在では遊歩道として整備されており、橋も上下するそうなのでぜひ一度行ってみたい。

1時間足らずのフライトで、福岡空港が近づいてきた。いったん玄界灘に出てUターンするように戻ってから福岡空港に進入する。その間も、福岡市内の街並みが手に取るように見ることができた。こうしてみると、福岡空港はよくこんな市街地の真ん中に作ることができたなと思う。
着陸時に多少揺れたものの、予想していたほどのひどい揺れはなく福岡空港に着陸した。そしてターミナル端に誘導されエンジンストップ。プロペラの回転が完全に止まってからタラップが展開され、降機となった。
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到着したばかりの機体には早速折り返し整備のためスタッフが機体を取り囲んでいる。YS11に乗るのはこれが最初で最後になるかもしれない。後ろ髪を引かれる思いで機を後にした。

40年以上にわたり日本の空を飛び続けてきたYS11。目前に迫った引退の一方で、丈夫で使いやすいと評判で海外のエアラインではいまだに主力として飛び続けている機体も数多くあるそうだ。最後の一機が世界中の空から引退するまで、無事故で安全なフライトを続けてほしいと願う。


日本の民間航空会社によるYS-11の運航は2006年に終了しましたが、その後も航空自衛隊・海上自衛隊ではYS-11の運航が継続されました。このことから、今度は軍用機にも興味を持ち始め、今に至ります。

2022年の今、航空自衛隊にわずかに残るYS-11はエンジンが換装されたいわゆる「スーパーYS」で、オリジナルのエンジンを積んだYS-11は飛行点検隊のYS-11FCが2021年に引退して消滅しました。このスーパーYS、鉄道に例えるならば、キハ58に搭載されたDMH-17エンジンをカミンズエンジンに交換するようなものでしょうか。

もっと早く航空機に興味をもっていたらYSにもたくさん乗れたのにと思いますがそれは結果論。興味の対象が広がっていく中で、最後の活躍をするYSに一度だけでも乗れたのは幸運だったかもしれません。

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2020年9月22日 (火)

全長15メートルの「メガライナー」乗車記(2005年7月10日)

東京駅と茨城県のつくば市を結ぶ交通機関として、2005年につくばエクスプレスが開業するまでは高速バス「つくば号」がメインの路線でした。乗客増に対して増便で対応していましたが、2002年より全長15メートルの特別仕様のバスが導入され、「メガライナー」として運行されました。
今回は、2005年に乗車したメガライナーの乗車記です。本文中に記載の時刻や料金などは、すべて2005年当時のもので現在とは異なります。


東京駅とつくばセンターを結ぶ高速バス「つくば号」は早朝から深夜まで、10~20分間隔で運転するドル箱路線だ。その人気ゆえ、乗り切れず次のバスを待つことになることもあるほどだが、その改善策として平成14年に登場したのがこの「メガライナー」。通常のバスは最大の長さが12メートルと法律で定められているが、特認により15メートルのバスが運行されている。

このメガライナーに乗ってつくばまで行ってみた。

東京駅八重洲南口の高速バス乗り場には名古屋、河口湖、房総半島方面など、いろいろな行き先の高速バスが次々と発車している。自動券売機でつくばセンターまでの乗車券を買い、バス乗り場に並ぶ。
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発車の10分ぐらい前に乗り場に到着。最初に見た印象はやはり「長い!」。隣に止まっている都営バスがとても小さく見える。乗務員に切符を手渡し、前の人に続いて2階席へ。4番目くらいに並んでいたが2階席の助手席側1番前の座席が空いていたので運良く座ることができた。

12時ちょうどに発車。普通の高速バスなら駅前から正面にのびる八重洲通りを走り、東京駅から500メートルくらいのところにある宝町インターチェンジから首都高速に入る。しかし、宝町インターは入り口が急カーブになっていてメガライナーは曲がることができないため迂回して呉服橋インターから首都高に入った。
メガライナーはこの他にも、その長さゆえの制限事項があり、運行できる道路が特定されている。ということは、事故などで通行止めになった場合、他の道路へ迂回運転をすることができないなど不便なところもあるようだ。車内にはそのことを知らせる案内が掲示されている。
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メガライナーは呉服橋インターのETCレーンを通過し、首都高速へ。
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日曜で車の流れは順調だ。いつも混雑する箱崎ジャンクションも難なく通過し向島線に入る。
 この路線はたまに自分でも運転することがあるが、カーブが多く道路の幅も狭いため、ゆっくり景色を見ることができない。今日は2階席からゆっくりと隅田川の景色をみながらの快適なドライブを楽しめる。たまには高速バスの旅もいいものだ。
 これほどの大型バスで、しかも最新型とくればさぞ乗り心地もいいだろうと思うかもしれない。しかし意外とそうではなく、よく揺れるのだ。とくに道路の継ぎ目などでは体も動いてしまうくらいに揺れる。特殊な車両のためなのだろうか。大量に人は運べても、夜行バスには適さないと思う。

小菅ジャンクションから三郷線に、そして三郷から常磐自動車道に入る。
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一部の区間では来月開業するつくばエクスプレスの線路と並走する。すでに本格的な試運転が始まっているはずだが、バスの車内からは見ることができなかった。
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東京駅から50分、桜土浦インターで高速を降り一般道を走る。
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一般道はやや混雑気味でメガライナーも窮屈そうに走る。交差点で曲がるときはぎりぎりまで前に出てからハンドルを切る。信号待ちの車が停止線を越えていたら曲がれないだろう。
 途中の停留所で少しずつ乗客を降ろしながら、終点のつくばセンターには13時10分に到着。
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つくばセンターで待機中のメガライナー。路面に表示された普通のバスの停止枠を大きくはみ出している。

メガライナーの定員は84名。普通の高速バスは42名だから倍の人を乗せることができるのだ。
走行できる道路が特定されたり、迂回運行ができないなど、制約となることが多いが、今後の活躍範囲の拡大に期待したい。


冒頭に記載の通り、メガライナーは「つくばエクスプレス」開業の影響により、2006年につくば号から引退。その後、夜行バスとして東京~大阪間で運行されていましたが、4台中2台を車両火災で焼失するという事故により2009年には運行を終了しました。

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2016年5月13日 (金)

ダムに沈む吾妻線と大子線跡を訪ねる(2004年11月27日)

以前、VIEWカード会員向けにJR東日本の公式鉄道ファンクラブ「Rail-On」クラブという会員組織がありました。今回は、Rail-Onクラブで募集のあったツアーの参加記録です。

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JR東日本公式鉄道ファンクラブ「Rail-On」クラブの会員には毎月会報がくる。その会報には、会員向けのマニアックなツアーの募集があり、その中にこのツアーのお知らせがあった。
料金が13000円と手頃で、内容も興味深いものだったので、今回初めてこういったツアーに参加してみることにした。
 

2004年11月27日

かつて東北・信越・上越線方面に次々と特急・急行列車が発車していた上野駅地平ホーム。今日はこの15番線ホームから出発する。発車の20分ほど前に入線、大勢のファンが撮影を始めた。残念ながらヘッドマークは「臨時」表示で、ちょっとがっかり。
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駅でコーヒーを買って指定された席に着く。そして7時25分に発車。

乗った車両はほぼ満席だ。どうやら指定された席の回りは全員ツアー客のようで、カメラや時刻表などを持っている。近くには家族連れもいた。
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特急「白根」の行き先表示。現役当時の駅名は、「長野原」だった。

ツアーの募集は上野のほか赤羽・大宮からのみなので、それ以降の駅では乗降の動きはないが、トイレに立ったときにほかの車両を見たら空席が目立つ。5分前に同じ方面に向かう特急「草津1号」があるのでこんなものだろうか。沿線ではこの列車を撮影するファンに混じって手を振る小さい子供のかわいい姿も見られた。

高崎ではSL「D51 498」の姿が見られた。客車には「SL試運転」と表示されており、水上まで一往復するのだろうか。
渋川から吾妻線に入る。急にローカル線の色濃くなり、紅葉も楽しめる。
終点まであと一駅、川原湯温泉駅では反対列車待ち合わせのため4分ほど停車。この時間にホームに降りてみたらヘッドマークが絵入りの「白根」になっていた。上野発車直前になって変えたのだろうか。そして終点の長野原草津口には10時15分に到着。3時間弱の列車の旅だった。
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長野原草津口に到着

駅ではツアーの受付をするのだが、受付は連れにおまかせしてしばらく駅で撮影をしていた。大勢のファンのなか何とか撮影をして改札をでると、連れはバスに案内されているところ。一番に受付してもらったそうで、連れのおかげで自由席のバスは助手席側一番前の特等席に座れた。
ツアー客の募集人数はこのバスの定員で決めたよう。全員の受付が済みバスに乗って最初の目的地へと出発した。
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長野原草津口駅からはJRバスで移動

バス車内では、吾妻線の一部が沈むことになる建設中の八ツ場(やんば)ダムの資料や、大子線のあった昭和43年の時刻表のコピーなどが配られた。そして、ツアー参加記念として、大子駅の硬券入場券と白根号の乗車記念券が配られた。
バスは国道を渋川方面に向かい、樽沢トンネルの近くに停車。トンネルの近くの国道は車を置いておくスペースがないため、離れたところで降りて歩く。ツアーなので添乗員の旗について5分ほどでトンネルに着いた。
旅行でツアーをよく利用する連れのアドバイスによれば、歩くときは添乗員のすぐ後ろを歩いたほうがよいそうだ。添乗員のいろいろな話や説明を聞きやすいし、前に人がいないから写真もとりやすいのだとか。

もうすぐ特急列車が通過するそうで、カメラを準備して列車を待つ。しばらく待ってから、上野行きの特急「草津4号」が通過していった。
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日本一短い樽沢トンネルを抜ける特急「草津」


このあとは吾妻渓谷を見ながらしばしの散策。流れが速く、カーブや川幅の狭いところなど、変化があって楽しい。紅葉はもう終わりごろだそうだが、それでもところどころに色づいた葉が鮮やかだ。
しばらく渓谷沿いを歩き、そろそろ空腹も感じたころ、国道沿いのドライブインで昼食となった。
箱詰の弁当が出るかと思ったら、とろろ汁に茶碗でご飯と味噌汁、そしておかずの小皿が並ぶ料理で満足。食後は近くの川原湯温泉駅前からバスで出発するまでフリータイムとなった。
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本日の昼食

吾妻渓谷は渓谷に沿って遊歩道があり、食後に少し歩いてみた。小さい滝がいくつかあり、落ち葉を踏みながらの散策が楽しめる。ダム着工後も一部の渓谷は残されるようだが、ぜひもう一度、景観の変わらないうちに遊歩道をじっくりと歩いてみたいものだ。
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少しだけ渓谷を歩いてから川原湯温泉駅まで歩く。ダムが完成すると湖の底に沈んでしまう。待合室に入ってみると窓口の駅員が弁当を食べているのどかな駅だ。
皆思い思いに撮影をしてバスに戻る。が、もうすぐ特急列車が到着するそうで、そのあとで出発するそうだ。すべては撮影対象の列車によってツアーの時間が決まるといっても過言ではない。
せっかくなので到着の様子を待合室から眺めてからバスに戻った。
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将来ダムの底に沈む川原湯温泉駅
ダム完成後は少し離れたところに新駅ができる


川原湯温泉駅を出発して次はいよいよ太子線(正式名称は「長野原線」)跡に向かう。長野原(現在の長野原草津口)から大前までの延長開通と引き換えに、太子までの路線が昭和45年に廃止された。すでに30年以上経過している鉄道の遺物がどれだけ残されているか楽しみだ。
まずは長野原草津口駅に程近いポイントへ。現在も使用中の吾妻線の鉄橋に並んで太子へ向かう路線の鉄橋が残されていた。
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太子線廃線跡に残る鉄橋
撤去するには費用がかかるからなのか、それとも太子に向かって鉄道があったことを将来に伝えるために残しているのか。いずれにしても、人気の少ないこの場所で一際その存在感をこの鉄橋は主張していた。

さて、この鉄橋からは吾妻線の現役の鉄橋も見渡すことができる。まもなく上り普通列車が通過するとのことで、樽沢トンネルに続いて撮影タイム。
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ここの撮影ポイントは実は墓地の中にあり、あまり居心地のいい場所ではない。ここには工事の業者がいて昼休みをとっていたが、観光バスで墓地に乗りつけ、鉄橋に向かって一斉にカメラを向けるこの団体が彼らにどのように映ったのだろうか・・・。通り過ぎる車からも場違いな団体にこちらを見ていた。

列車の撮影が終わり、バスに乗ってさらに太子方面へと移動する。次のポイントではは太子線の2つのトンネルを見学する。
国道から分岐する細い道にバスの頭が突っ込んだ状態で下車。この細い道こそがかつての線路跡なのだそうだ。しばらく歩くと国道の下にトンネルが口を空けていた。
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1つ目のトンネル
中は照明などは一切ないが、現在も道路として使用されており、補修もなされているようで崩落のような危険はない。天井に黒ずんだ汚れが見えるが、これは現役当時の蒸気機関車のすすだろうか。いや、すでに30年以上が経過しているのにすすが残っているわけないだろうが、あれこれ想いをめぐらすのはたのしい。

1つ目のトンネルの少し先に2つ目のトンネルがあった。こちらのトンネルはやや長く、懐中電灯があると便利だ。路面は舗装こそされていないものの、歩きにくいということはない。このトンネルを出たところでまたバスへ戻る。
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2つ目のトンネル

さらにこのあとは太子駅跡へと向かう。このまま線路跡をたどっていけば着くことができるが、大型バスがトンネルを通過できるかどうか微妙とのことで、一旦国道に戻った。

太子駅跡にはいくつか鉄道施設の名残があった。一番目立つのは、産出した鉄鉱石を貨車に積み込む設備のホッパーだ。内部は背の高い草が生えているが、現役当時の様子をよく伝えている。
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ホッパーは現役当時の名残

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ホッパーの内部
ほかにコンクリート製の車止めもあり、ここに鉄道があったことを静かに物語っている。ここでしばらく過去の栄華を想像し、バスに戻る。
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太子駅跡の車止め

今日の見学はすべて終了し、後は駅に戻るだけ。短い時間だがいろいろと楽しめた。駅に着いて解散となった。
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ホームへ入線のための入れ替え
      ヘッドマークは「草津白根」になっている

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帰りは白地に文字だけの「白根」で運転された


駅では帰りの「白根号」を撮影して時間を過ごし、列車に乗って気づいたら発車時刻だった。だんだん日も暮れてきたので車内は静かだ。大宮、赤羽と三々五々降りていき、定刻に終点の上野に着いた。

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吾妻線の線路の付け替えはこのツアーから10年後の2014年10月に完成し、現在では新しい経路で運転されています。また、Rail-Onクラブは2008年で終了し、現在は鉄道博物館の会員組織に引き継がれています。

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2016年4月11日 (月)

2階建てオープンバスに乗る(2004年10月17日)

2004年9月から東京駅の周辺を2階建てのオープンバス「スカイバス東京」が運行を始めました。2階席の屋根を取り払った開放的なバスに乗って、皇居一周や丸ノ内エリアのドライブを楽しんできました。

以下は当時のままの文章です。運賃・料金や時刻など、現状とは異なる場合があります。

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 2階建てオープンバスは路線バスではなく、バスツアーの形式を取っている。そのため、乗車前に乗車する全員の氏名を記入した申し込み用紙を提出しなくてはならない。
 13時過ぎに東京中央郵便局の隣にある三菱ビル1階の受付カウンターにいってみると、現在14:30発以降の便に空席があるそうだ。本来は毎正時発の一時間間隔運転だが、今日は30分発の臨時便も出ているようだ。それでも人気があるらしく、次の便はすでに満席。席は自由席だが、チケット購入順に乗車するため、いい席を取るには早めにチケットを買ったほうがよい。15時発の便のチケットを購入し、いったんその場を離れた。

 発車の15分くらい前から人が集まり始めた。5分くらい前になると係員がチケット番号のチェック。私の番号は29番。乗り込むと車内中ほどの左側の席が空いていたのでそこに座る。
 2階の定員は52名で、1階にも16名分の座席があるが、チケットは2階席分しか発売しておらず、必ず2階に座れるようにはなっている。
最前列の席はすでに埋まっているが、この部分だけは屋根がついており、多少の圧迫感がある。このバスの開放感を楽しみたければ、1番前の席は避けたほうがよいかも知れない。

 三菱ビル前を発車すると、まず東京駅前の交差点を左折。皇居に向かって走る。
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2階席から東京駅を望む

日比谷通りを右折し、神田橋、一ツ橋を左折。日曜だけは皇居の通りが歩行者天国となっているため、その外側を迂回しているのだ。
係員が車内を回り、記念写真のシャッターも押してくれる。また、日よけのための帽子も貸してくれるそうだが、今日の日差しはそれほど強くない。
早川門から皇居を見ながら走るようになる。代官町通りは桜がきれいなので、春に乗るのもすすめていた。散るころには車内にも花びらが舞うことだろう。
 内堀通りに入り、左には皇居のお堀、右手には国立劇場、最高裁判所と見所が続く。
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道路の案内看板も手が届きそう

日本の政治の中心、国会議事堂前の坂を登り、左折する。そして、外務省、警視庁、財務省などの官庁街をゆっくりと進む。右を見ると、法務省の重厚な赤レンガの庁舎が目に入る。明治時代に造られたそうだ。
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国会議事堂前を左折

その正面は桜田門。ここを右折すると正面には日比谷、そして銀座が待ち構える。

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桜田門を右折して日比谷公園のあたりにくるとやや渋滞気味。日比谷通りを抜けJRのガードをくぐると数寄屋橋、銀座へと入る。平日であれば銀座4丁目の交差点を左折し中央通りに入り、銀座の中心部を通過するのだが、今日は歩行者天国のため手前の数寄屋橋交差点を左折する。そして鍛冶橋を左折するとまたJRのガードをくぐる。
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このガードは数寄屋橋のガードより低く、手がとどくどころかぶつかりそうな感じがする。もちろん問題なく通過するのだが、乗客からは歓声があがった。

 このあとバスは丸の内のオフィス街や東京フォーラム、帝国劇場、そして東京駅前などを通り、再び三菱ビル前に戻ってきた。信号待ちの車や歩行者からは見上げられることもしばしば。パンフレットには所要約45分だそうだが、渋滞のためか50分ほどかかった。

 いつも見慣れた東京の都心部だが、開放的な2階建てバスから見る光景はまた違った印象で新鮮味があった。もう少し遅い時期に乗ればイチョウなどの紅葉がきれいだろう。また春に乗れば桜もあり、季節を変えて乗ってみたいミニドライブだった。
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2016年3月14日 (月)

東北本線お試し期間のグリーン車(2004年7月19日)

首都圏のJR中距離電車では、従来からの東海道・横須賀線に加えて東北線・高崎線・常磐線にも2階建てグリーン車が連結されています。東北高崎線系統では2004年から連結が開始されましたが、当時は組み込みの完了した編成から運用に就き、秋のダイヤ改正までは普通車としてグリーン券なしでグリーン車に乗れるという措置をとりました。この特例を利用して、宇都宮から上野までグリーン車に乗ってきた時の乗車記です。

以下は当時のままの文章です。運賃・料金や時刻など、現状とは異なる場合があります。

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2004年秋のダイヤ改正から、宇都宮線(東北本線)・高崎線の普通・快速列車にもグリーン車が連結されるようになる。そして、夏前からそのための車両が続々と完成しているが、7月1日よりその車両が営業運転を始め、ダイヤ改正まではグリーン券なしでグリーン車に乗れることになった。そこで、秋の本格営業を前に、宇都宮線のグリーン車に乗ってみた。

←宇都宮   上野→

クハE231 モハE231 モハE230 サハE231 サハE231 サロE231 サロE230 モハE231 モハE230 クハE230
8501 3501 1501 1124 1125 1042 1042 1542 3542 8042
(国府津車両センター所属)
赤色 の車両が乗車車両です

宇都宮14:09発→上野15:41着

 宇都宮線で運転を始めた2階建てグリーン車だが、現在は”お試し期間”として、多くの人に乗ってもらえるよう、連結列車は日によって変わる。事前に時刻表では知ることができず、グリーン車に乗れるのは運によるところも大きい。

 とはいうものの、宇都宮線の各駅には、グリーン車連結列車を知らせる案内があり当日の列車は知ることができる。この情報を元に、これからグリーン車を連結した宇都宮発上野行き、快速ラビット号に乗る。
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上野駅にあった「グリーン車連結情報」

 宇都宮駅には発車の20分ほど前からグリーン車乗車位置だけ列ができている。カメラを持った鉄道ファン以外にも中年女性のグループや、子供に教えられた親子連れ、制服を着た学生の姿も目立ち、一般にも浸透しているようだ。

 発車の10分ほど前になって上野からの普通電車が到着。車両は国府津車両センターに所属するK01編成。東海道線用の新車なのだが、一足先に宇都宮線でお披露目となった。昨日から営業運転を始めたばかりの新車なのだ。この折り返しが快速ラビットとなる。上野寄りの4・5号車に2階建てグリーン車が連結されており、湘南新宿ラインとして東海道・横須賀線に入線したときに揃う位置となっている。

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宇都宮駅で発車を待つグリーン車組み込み編成の列車

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普通車として利用できることの表示があります。

 車内清掃の係員がいるが、特に案内がないため到着してすぐに乗車した。自分で座席の向きを変えて席に座る。並んでいた人も全員座れ、まだ空席が十分にある。

 14時09分に宇都宮を発車。快速電車だが途中の小山までは各駅停車だ。車内はとても静かで後ろの座席に座った2人の女子高生が乗り心地のよさを話していた。座席は東海道線や横須賀線を走る2階建てグリーン車と変わらないが、テーブルとは別に、観光バスについているようなペットボトルや缶を置くドリンクホルダーが目新しい。

 途中駅で待っている人の様子はさまざま。グリーン車が来ることを知ってて乗車位置で待っている人がいれば、見慣れない車両が来て慌てて他の車両へ移る人など、やはりまだまだ知らない人も多い。車内放送では、4・5号車にグリーン車を連結しているが、今はグリーン券なしで乗れることを何度か放送していたので徐々に知られていくことだろう。

 小山から快速運転。乗客も増えてくるが、意外とグリーン車は満席にはならず6割くらいの乗車率だろうか。2人がけの座席に1人で座っていると、遠慮して座らず、車内を見には来るが通り過ぎてしまう人も多い。古河で先行の普通電車を追い抜く。その後も乗客が入れ替わりながら大宮に到着。大宮には既存の編成に組みこむためのグリーン車が留め置かれていた。

 大宮を出てすぐグリーン車組み込みの列車とすれ違った。もちろんあちらも大勢乗っており、少なくとも窓側は満席だ。そして、浦和・赤羽と停車し、終点の上野には15時41分に着いた。
 
 上野での折り返しは15時50分発の小金井行きだ。もちろんこちらも長い列ができていたが、全員乗ってしまえば席に余裕があり、1階席はまだ窓側も空席が多く残っていた。明日から夏の青春18きっぷが使えるし、乗車予定の列車がグリーン車組み込み編成ならぜひ乗ってみたい。

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首都圏の路線では、今後中央快速線にも2階建てグリーン車を連結する計画があります。中央快速線は今までのグリーン車連結路線とは異なり、比較的近距離の通勤路線に導入されることになります。10両編成にプラス2両増結することになるようで、ホームの延伸や短時間での東京駅の折り返しなど、興味深いところが多いですが、運用が始まったらぜひこちらも乗ってみたいものです。

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2016年3月 3日 (木)

九州新幹線と鹿児島の旅2日目(2004年6月13日)

九州新幹線と鹿児島の旅、2日目は鹿児島市内と桜島をめぐりました。

以下は当時のままの文章です。運賃・料金や時刻など、現状とは異なる場合があります。

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今日は一日市内観光だ。ホテルを出てまず市電に乗車。
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車内では一日乗車券を買った。鹿児島といえば桜島。桟橋に近い電停で降り、フェリーに乗り錦江湾を横断する。錦江湾にはたまにイルカの群れが泳いでいることがあるそうだが、今日はその姿は見えない。

姿が見えないのはイルカだけではない。すぐ目の前にそびえたつ桜島も、もやの中に隠れているのだ。桜島に着いたら定期観光バスがすぐに出るという案内があった。去年の夏にレンタカーで一周したが、今回は料金も手ごろなバスで桜島を一周してみる。
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バスの車体には噴煙を上げる桜島のイラストが・・・

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山頂は薄雲がかかっていました

バスの乗客は他に3組いて、ガイドさんにどちらから来たのか聞かれた。みんな九州内から来たそうで、東京など遠方の客は私たちくらいだった。新幹線に乗って鹿児島に行くツアーなどが組まれているそうだ。
 バスはまず桜島で一番高いところから眺められる湯平展望所に行く。足元にある黒っぽい砂は火山灰だそうだ。去年来たときは気づかなかった。鹿児島の方言では灰のことを”へ”と言うなど、面白い話も聞けた。
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湯之平展望所からの眺め

展望所から島の外周を半時計回りに一周。途中火山灰で埋まってしまった埋没鳥居は車窓から見学。さらにお土産屋にも立ち寄り、大正時代の大噴火の様子を当時の写真と新聞での説明を受けた。もちろんそのあとはお土産をどうぞということなのだが、早々と店内を後にして土産は買わなかった。
 このほか、「溶岩焼」の窯元では溶岩を使って焼いた焼物の展示即売をしており、こちらではいくつか売れていた。最後に、港に近い桜島ビジターセンターでは、噴火の様子のビデオや資料を見ることもできた。噴火当時の島民のパニックする様子が浮かんでくる。

バスはお昼過ぎに港に戻ってきた。そのままフェリーに乗り鹿児島へ戻る。引き続き市電に乗って次の場所へ。去年行かなかった「ふるさと維新館」に行ってみた。幕末から明治維新の激動の様子を西郷隆盛や木戸孝允など人形を使って再現したシアターなどがあって楽しめた。

 さらに、今も残る西南戦争での銃弾のあとが残る石垣を見た。石垣には無数の弾痕が当時の様子を静かに今に伝えている。さすがに弾は残ってはいないが、山などの土を掘り返すと今でも当時の銃弾が出てくるというからいかに激しい戦いだったかを知ることができる。
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100年以上の時を経て今に伝える傷跡

 最後に、バスで城山へ行き桜島を眺める。激動の幕末も、西南戦争も、大正時代の大噴火も、この場所に立てば桜島を眺めることができたはずだ。
 日も西に傾き、そろそろ空港へ向かうことにする。駅から空港行きの高速バスに乗るとしばらく車窓から桜島が離れなかった。心なしか少し噴煙を上げているような気がする。空港のレストランでは、地元の黒豚を使用したとんかつで早めの夕食。お土産も買って飛行機に乗り、羽田に着いたのは夜遅く。そのままバスに乗り家に帰ってきた。

 初日はローカル線と最新の新幹線を、2日目は鹿児島の歴史に触れる充実した旅だった。特に桜島は昨年に続いて2回目の旅だったが新しい発見もあり、何度も訪れなければわからないことが多いのだと感じた旅でもあった。

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2016年3月 2日 (水)

九州新幹線と鹿児島の旅1日目(2004年6月12日)

2004年3月、フル規格としては長野新幹線以来の新しい路線名の新幹線「九州新幹線」が開業しました。この新しい新幹線の開業3か月後に、鹿児島観光を兼ねていち早く乗車してきました。

当時は新八代~鹿児島中央間の部分開業のため、空路で鹿児島入りし、肥薩線を乗りつぶし新八代から新幹線に乗る周回ルートで移動しました。

以下は当時のままの文章です。運賃・料金や時刻など、現状とは異なる場合があります。

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日本航空からまた新しい割引運賃がでた。「おともでマイル割引」で、10000マイルと同行者1名18000円で往復できるというのだ。往復18000円というのは安いし、マイルも普通なら15000マイルで往復するところ5000マイルも割引になるので、これを利用しない手はない。本当はまだ行ったことのない沖縄へ行って、モノレール乗車と観光をしてきたかったのだが、満席だったのでできたばかりの九州新幹線をメインに、鹿児島に行くことにした。

今回も横浜からリムジンバスで羽田空港へ行くが、横浜駅で今日使うJR乗車券と指定券、新幹線特急券を買っていたら時間がたってしまった。空港へのバスは10分間隔で出ているのですぐに乗ることができたが空港到着は出発時間の30分前を切っていた。
 出発の10分前までに乗ればよいことになっているが、搭乗前の保安検査に長蛇の列ができていた。テロを警戒して保安検査が強化されているのに加えて、朝は出発のピークなのだ。チェックインは済ませてあるのでおいていかれることはないだろうが、時間が気になる。出発の迫った便は優先的に検査を受けることができ、何とかそこを抜けることができた。
 出発はバスで搭乗口まで案内される。時間が迫っていたようで、席に着いたらまもなく出発となった。朝は慌しく朝食を食べるひまがなかったので、機内サービスのスープを2杯飲んだ。有料でもいいので、サンドイッチなどの軽食販売があればよいのだが・・・。
 定刻より少し遅れて鹿児島空港に到着。空港は駅から離れているので路線バスに乗り換え。日豊本線の国分駅へ行くバスが出るまで時間があるので空港の喫茶スタンドで軽く朝食。バスは20分ほどで国分駅に着いた。

 国分からは列車の旅。横浜駅では、国分から肥薩線・新八代・新幹線経由鹿児島中央行きの片道乗車券を買ってある。まずは一駅隣の隼人まで。次の列車は特急で、普通列車は1時間以上待つ。それを待っていては接続がよくないので、たった一駅3分だが特急に乗る。料金300円を払って乗る以上は短い時間でもしっかりと席に座る。
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なぜかヘッドマークは真っ白だった。

 隼人からローカル線の肥薩線に乗り換え。たった1両のワンマンディーゼルカー。それでも車内は空席が目立つ。制服を着た学生など地元の利用者が多い。車窓に広がる水田では、今がシーズンなのか田植えをする農家の姿が多い。地域によっては5月の連休に田植えをするところもあり、気候によるものだろうか。途中の駅はすべて無人だが、古い木造の駅舎が残っている。
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隼人から乗った肥薩線の普通列車吉松行き

 吉松には昼過ぎに到着。肥薩線と吉都線が接続する駅だが、列車の発着する時間以外は静まり返っている。待合室にはお座敷があり、靴を脱いでくつろげる。駅を出て左手には、昔、肥薩線を走っていたSLが保存されていた。Img_00181_2
吉松駅近くに保存されているSL C5552号

 吉松では次の列車まで約2時間ある。周辺にはいくつか温泉があるので、その中の吉松駅前温泉に行くことにした。が、お腹がすいたので先に昼食にする。街中を歩いていると、小さな女の子がすれ違うときに「こんにちは」とあいさつしてくれた。ちょっと遅れてこちらも「こんにちは」と返す。ただそれだけだがうれしい。駅から10分ほど歩いたところにあるAコープで弁当を買って、SLのそばにあった木製のイスとテーブルで食べた。

 食後、一息ついたところで温泉へ。吉松駅前温泉は文字通り駅前にあり、列車の発車ぎりぎりまでいても間に合うだろう。最近リニューアルオープンしたらしく、それを祝う花輪がいくつか並んでいた。入り口などはまだ整備途中らしく、隣接する商店で入浴料250円を払って入る。
 風呂には先客はなく、源泉かけ流しの浴槽を独り占め。設備もまだ新しく、湯船に出たり入ったりしてとても贅沢なひと時を過ごした。
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さっぱりして駅に戻ると、次に乗る列車「しんぺい」はホームで待っていた。特急列車「はやとの風」も発車を待っており、一時の賑わいを見せていた。
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左が「しんぺい」 右は「はやとの風」

 「しんぺい」は、吉松と人吉を結ぶ観光用の普通列車。この区間はもともと乗客が少ないところだが、スイッチバックやループ線、日本三大車窓など、列車の旅の魅力が凝縮されている。そして、2両編成のうち1両は木を使ってレトロ風に改造された指定席となっている。指定券は今朝の横浜駅で買ったが、4人用の向かい合わせ席を2人でゆったり使えた。
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「しんぺい」は、前後で違う車両を使っている

吉松を発車してしばらくすると、吉松の街並みが右手に見下ろせる。エンジンをうならせながら山を登っているのだ。肥薩線では、戦後まもなく戦地から引き上げて来た人たちを乗せた列車が、坂を登れずにトンネル内に停車してしまい、乗っていた人が線路に降りていたが、ブレーキが緩んで列車が後退して多くの人をひいてしまうという悲しい事故があったそうだ。そのトンネルの出口には、その事故を悼む慰霊碑が建っており、徐行運転で見学することができた。
 次の真幸駅はスイッチバックの駅。急な上り坂をを一気に上ることができないため、駅に停まったあと、引き上げ線にバックしてから引き続き上るという特殊な線路配線の駅だ。横から見るとジグザグの形に上っていく。
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真幸駅のホームにて。今回の旅行では唯一この駅だけが宮崎県にある駅です。

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スイッチバックでホームの一段高いところを走っていく

次の矢岳駅には、SL D51 170号が展示されており、こちらの見学のために少し停車時間があった。矢岳駅の駅舎も、まるで時代に取り残されたかのような立派な木造の駅舎で、かつての様子をしのぶことができる。
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矢岳駅のD51170

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矢岳駅の立派な木造の駅舎

そして大畑駅。駅のずっと手前から、車窓の眼下遠くにレールが見えた。これから山を巻くようにループ線となって下っていくのだ。列車に乗っていてはよくわからないが、太陽の位置でそれを知ることができる。そして着いた大畑も、真幸と同様スイッチバックとなっている。かつては長大トンネルを掘る技術も未熟で、坂道発進が苦手なSL時代に考案された方式がスイッチバックであり、ループ線なのである。土木技術と車両性能の向上でこのような方式はどんどん改良され全国でも珍しい存在となった。この路線は、近代鉄道技術の生きた遺産と言えるのではないだろうか。
 こうして「しんぺい」は1時間かけて人吉に着いた。
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画面中央に見える、茶色いところがこれから走る線路。時計回りに山を回ります。

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大畑駅も木造のひなびた駅舎

人吉では「九州横断特急」に乗り換え。たいそうな名前の列車だが、編成はたった2両のミニ特急。熊本と大分を経由して、別府まで走る。地図を見れば、確かに横断してるといえなくもないが・・・。特急券を持っていなかったので窓口へ。新幹線の特急券があれば乗継割引になると思っていたが、九州新幹線は例外なのか、割引はなかった。
 先頭車両の一番前、進行方向右側に席を取る。ここは、デッキをはさむものの列車の前面展望が楽しめる特等席だ。
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いくつか空席を残したまま発車。しかし、途中駅でまとまった乗車があり立客もでた。のどが渇いてきたが車内に自動販売機などはなさそう。降りるまで我慢かと思ったら、ぜんぜん期待していなかった車内販売がやってきた。発車直後に車内を巡回した女性車掌が、車内販売も担当しているのだった。おかげでポカリスエットでのどを潤しながら、球磨川の急流の車窓を楽しむことができた。その球磨川も、河口に近づき緩やかな大河の表情を見せたころはもうすぐ八代到着。そして、まもなく右側から新幹線の高架線が近づき、新八代に着いた。

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在来線の新八代は、新幹線の乗り換え駅とは思えないほどの小ぢんまりとした駅だ。もっとも博多方面の接続特急「リレーつばめ」は直接新幹線ホームに乗り入れるから、こんなものかもしれない。新幹線乗り場の案内をたどっていくといったん改札を出て、外から入りなおす。暫定開業とはいえ、エレベーターはあるものの階段を上り下りしなくてはならずに不便だ。

 新幹線の駅は在来線と違って立派なつくりになっている。自動改札を通りホームに上がると在来線の「リレーつばめ」がいた。新幹線「つばめ」は発車したばかりでその姿は見えない。しばらく待っていると、鹿児島方面から白い車体が滑り込んできた。折り返しのため車内清掃が終わるまで外観を見て回る。
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車体は「つばめ」のロゴマークが目立つ。

 清掃も終わり車内に入る。横に2人と3人が並ぶ座席が標準の新幹線の普通車だが、「つばめ」は4列でゆったりとしている。車内は木を多用した高級感ある内装だ。Img_00452

博多からの「リレーつばめ」の接続を受け、発車してしばらくすると航空機のパイロットのように、運転士が「つばめ」を紹介する放送があった。最高時速260キロは「のぞみ」の300キロには及ばないが、外の景色は一瞬にして過ぎ去る。トンネルが多いのも特徴で、これは長野新幹線や東北新幹線(盛岡~八戸)など、最近の新幹線に共通していることでもある。
 途中川内のみ停車し、終点の西鹿児島改め鹿児島中央に到着。昨年夏に来たときは工事中だったが、新幹線ができてきれいになった。まずは予約してあるホテルに直行。ホテルへは市電で。市電乗り場もきれいになっており、従来道路の中央にあった電停が、鹿児島中央駅側によって横断歩道を渡らずに電車に乗れるようになった。
 ホテルは天文館の近くにあるビジネスホテルで、チェックインしたあと夕食のために街にでた。ガイドブックを見ながらラーメン屋に行ったがおいしくなくてがっかり。それでもお腹はふくれたので、コンビニでお酒を買って部屋に戻る。

(つづく)

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2016年2月 8日 (月)

レトロ列車の旅(1996年11月30日)

大人気の機関車EF58が本線上から引退して久しいですが、かつてはイベント列車に引っ張りだこでした。1996年11月には品川駅主催のツアー形式のイベント列車が運転され、参加しています。

今回は、その際の乗車記をお届けします。

以下は当時のままの文章です。運賃・料金や時刻など、現状とは異なる場合があります。

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ある日の学校の帰り、品川駅で「旧型客車の旅」のポスターを見つけた。内容は品川から大船まで往復し、弁当とお茶つきで3900円と値段も手ごろだったので衝動的に申し込んでしまった。

当日の編成↓EF58がプッシュプルで旧型客車4両を牽引するという豪華編成。

機関車
EF58 89
スハフ42
      2173
オハ47
      2239
オハ47
      2246
スハフ42
      2234
機関車
EF58 61

Ef5861
下り側の先頭はEF58 61 品川駅にて

今回のレトロ列車は、「品川駅おもしろ体験イベント」の一環として運転される。会場のホームには、EF81 81+”夢空間”や、蒸気機関車D51 498などが展示されているが、まずは集合場所である12番線ホームに行く。
 集合時間である10時45分ごろに着いたが、すでに列ができている。ここで座席指定券と弁当、お茶、それに団体旅行扱いとなるため”びゅう”のバッヂを受け取りいったん解散となった。

11時20分ごろ、EF58 61を先頭に旧型客車の編成が入線した。まずは横須賀線ホームから撮影する。61号機は1か月前にお召し列車をけん引した時にきれいに磨かれており、今日もきれいな車体を見せてくれた。先頭には「いでゆ」のヘッドマークが。
   
客車には「品川―大船」のサボがついている。ひととおり撮影し、指定された2号車22番A席におさまった。
11時41分、汽笛がなったあと、客車ならではの揺れがあって静かに動き出した。すぐに横須賀線下り線に入る。
 特急列車のオルゴールがなり、乗車中の注意と案内が入った。車内禁煙のほか、トイレは使えないこと、走行中はデッキに入らないことの注意があった。トイレは垂れ流しなので非衛生的だし、車両の乗降扉は手動式でカギがかからないの走行中に開いたら危険なのでデッキも立入禁止となったのだろう。各車のデッキには係員がはりついている。

最初の通過駅、西大井では撮影者は思ったほど多くなく10人ほど。この先は掘割の中を新幹線と並走するが、高いフェンスに囲まれて撮影者はほとんどいない。品川駅で受け取った弁当はD51 498の写真が入った今回のイベント特製のもの。赤飯や巻き寿司、押し寿司などがあり、おかずとして煮物が入っている。食べているうちに新川崎を通過。ここでも10人ほどの撮影者がいた。駅を出て高架線に入ったところで緊急停車。車内放送によると、この先で線路内侵入者とのこと。本当にいい迷惑である。安全確認ができたのか、5分ほどで再び発車。

 鶴見を出ると、すれ違う列車も多くなる。新子安には大勢の撮影者が集まっていた。ホームには京浜東北線の大宮方面行きが停車中でやきもきしていたことだろう

やがて東海道線の下り列車と並走した。多くの人がこちらを見ている。もうすぐ横浜駅を通過。東海道線を引き離す。しかし、こちらの列車はそれほど早くはなく、保土ヶ谷あたりで追いつかれた。やはりほとんどの人がこちらを注目。先月のお召し列車はニュースでも報道されたので、またお召し列車が走っていると思っている人もいるのではないか。手を振ってくれる人もおり、天皇陛下になった気分で手を振り返してみたいが、一人なので気恥ずかしい。

Ef5889
上り側の先頭はEF58 89 大船駅にて

途中では今回の行程で唯一のトンネルを通ったが、さすがに旧型だとすき間風が多く入ってくる。旧型客車は火災対策の点から、現在では冬でも暖房を入れることができないようだが、今日はそれほど寒くは感じなかった。トンネルを出ると東戸塚を通過。ここまで来ると、沿線はビルなどが少なくなり、撮影者多く集まっているポイントも見られる。戸塚をでるとまたチャイムが鳴り大船到着を知らせる。大船には定刻より4分遅れて6番線に到着した。大船では折り返しまで20分ほど時間があり、反対側のホームから撮影を楽しむ。撮影をしていると時間などあっという間で、発車5分前になり缶コーヒーを買って車内に戻った。
 帰りの列車は大船を定刻に発車。晩秋だと、まだ昼の1時を過ぎたばかりなのに西日のような太陽光線。車内は、鉄道ファンのほかに親子連れも結構乗っていたが、疲れてしまったのか、おとなしく寝ている子供が多い。
 横浜を通過し、新子安を過ぎると目立った撮影者の集まりは見られなくなった。西大井を出たところでまた例のチャイムが。そして終着が近いことを知らせる。駅構内に入り、東海道下り本線を横切り、大勢のファンが待ち構える品川駅7番線に着いた。

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以前から大人気で、JRになってからも5両が動態保存されたものの、老朽化により2011年までに引退してしまいました。本線上では見ることができなくなってしまいましたが、89号機は鉄道博物館で、お召指定機の61号機は東京総合車両センターで大切に保管されているそうです。そして、同センターのイベント開催時で展示されたこともありました。
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2010年8月の東京総合車両センターイベントで展示されたEF58 61号機

今後も、晴れた空の下でこの茶色い機関車を見る機会があってほしいものです。難しいかもしれませんが、可能であれば通電状態で短区間でも構内運転で元気な姿を見せてくれたらうれしいですね。

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2016年2月 1日 (月)

御殿場線60周年記念号(1994年11月27日)

以前、私も人並みに鉄道や旅行をテーマにしたウェブサイトを開設し、5年ほど運営していましたがブログへの移行により現在は更新を停止しています。その後8年ほどずっと放置していましたが、サービス提供元のniftyがサービスを終了するということで、これを機会にウェブサイトに掲載した趣味日記の内容などを“趣味日記再録”というカテゴリをつけて徐々にこちらに移行してくことにしました。

時刻や運賃・料金、その他の情報は当時のままですが、懐かしい列車や車両なども登場してくるかと思いますので、よろしければご覧ください。

日付の古いものから順に、まずは1994年11月27日にキハ80系で運転された、「御殿場線60周年記念号」の乗車記です。

以下は当時のままの文章です。現状とは異なる場合があります。

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道趣味の情報源「鉄道ダイヤ情報」'94年11月号を見ていたら、特報としてキハ80系使用の「御殿場線60周年記念号」が運転されるというニュースがあった。キハ80系といえば、かつて国鉄時代の名車といわれたが、最後に残ったJR東海の車両も近いうちに検査期限が切れて廃車が予想され、自分にとっては最初で最後の乗車チャンスとなりそうだ。しかも、東京に近い御殿場線で運転されるとあっては行かずにはいられない。かくして、11月最後の日曜日、出かけることになった。

新幹線と普通列車を乗り継いで沼津駅に着いた。御殿場線ホームで入線を待つ。ホームでは60年前のデザインのかけ紙を使った丹那トンネル開通60周年記念弁当があったのでお昼用に買っておく。

10時45分ころ、お目当ての列車は御殿場線ホームではなく、東海道線上りホーム(特急「あさぎり発着ホーム)に入線。グリーン車組み込みの5両編成。
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沼津駅で発車を待つキハ80系「御殿場線60周年記念号」

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緑色の地紋も懐かしい指定席券。今だと発行される指定席券は定期券サイズですが、当時は横長タイプでした。

ひととおり写真撮影をしてから車内に入れば、昔ながらのリクライニングしない回転クロスシートが並ぶ。テーブルを出し、弁当を食べていると静かに発車した。
指定券のチェックにきた2人の車掌のうち、一人は国鉄時代の制服を着て雰囲気を盛り上げる。

車窓左手に富士山が見えるようになってきたが、あいにく頂上には薄く雲がかかっている。沼津から40分足らずで御殿場到着。ここで38分の停車となっている。
まずは記念入場券を買おうと思っていたが、すでに窓口には長蛇の列が。まあ、入場券はどうしても欲しいものでもないので、いろいろな角度から列車の撮影を楽しむ。

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沼津側のヘッドマークは、「60th ごてんば」の絵入りスペシャルマーク。一方の下曽我よりは、かつての国鉄特急を思わせる白地に黒の「ごてんば」の文字だけのマーク。どちらも今回のキハ80にふさわしいヘッドマークだ。しかも、両先頭車とも、JRのマークを消して、一度は外されたはずの「JNR」マーク
がついている。
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11時52分、特急「あさぎり3号」が入ってきたが、ホームが離れているので並べて撮ることはできなかった。かわりに、キハ80の隣に115系普通列車がきたのでこちらを並べて撮った。
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ホームではくす玉が割られ、太鼓の演奏が行われている。記念のオレンジカードを買って席に戻る。

御殿場を発車すると、記念品が配られた。記念品は、フジカラースーパーG400の12枚撮りだった。乗車記念にフィルムとは?と思ったが、一緒にもらったパンフレットには「協賛:フジフィルム」とあり納得。
 沿線には大勢のファンが待ち構えており、足柄付近には車内から歓声が上がるほどの人数。不思議なもので、外で撮影しているときは、他の撮影者が少ないほうが自由なアングルを選べていいのだが、自分が撮られる列車に乗っていると、撮影者が多いほうが気分がいいものだ。

富士山はだんだん手前の山に隠れて見えなくなる。松田では「あさぎり」専用のホームに入線。上大井の手前で線路内侵入者のため急停車。すぐに走り出せば、終点の下曽我はもうすぐだ。

   下曽我でも、大勢のファンが記念入場券を買ったり、写真撮影をしたりで賑わっている。私はもう撮影もしておいたのでおとなしく後続の普通列車を待った。

   臨時快速のため、特急らしい走りは見せてくれなかったが、かつて国鉄の誇った「名車」に駆け込みではあるが、乗ることができてよかった。いま、この車両よりもはるかに性能のよい車両が全国で活躍しているが、その前には、この車両の技術があることを忘れないでおきたい。

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