小学生のころからの鉄道ファンだった私ですが、以前は航空機のことはさっぱり興味がなく、知識もありませんでした。そんな私が航空機に興味を持つきっかけとなったのが日本初の国産旅客機「YS-11」でした。2006年にYS-11が日本の航空会社から引退する前に、駆け込み的に乗ることができました。今回は、当時のYS-11搭乗記をご紹介します。
以下はすべて当時のままの文章です。
日本初の国産旅客機「YS-11」。1962年(昭和37年)に第一号機の初飛行以来、機体を丈夫に設計してあるため40年以上に渡って日本の空を飛び続けてきた。1962年といえば、東海道新幹線が開通する2年前、在来の東海道線は151系「こだま」が東京と大阪の間を結び、蒸気機関車が幅を利かせていた時代。
YS-11に関しては、いままでさまざまなメディアに取り上げられていた。最近ではNHKの「プロジェクトX」でも2回に渡って放送された他、設計や製造に関わった人が書いた本を読んだり、ドキュメンタリーの番組を見たりしているうちに、特に航空機ファンではない私でもYS-11に関しては親しみを深めていった。
そのうちに、ぜひ一度YS-11に乗ってみたい、そう思うようになったがあまり航空機に関する知識は持ち合わせてなく、なかなか行動に移せなかった。21世紀になってもしばらくは羽田~大島線に就航していたほか、大阪~徳島など割と利用しやすい路線でも使用されていたが、地方空港のジェット化や代替新型機の登場により徐々にその数を減らし、衝突防止装置の設置が義務付けられるのをきっかけに2006年には日本の空から引退することが決定した。
YS-11に乗るなら今しかない!ということで、現在就航中のYS-11のフライトを調べてみると、福岡~徳島・高知・鹿児島の路線が利用しやすい。利用するならバーゲンフェア航空券の利用期間の土日がいい。しかし、やはり注目を浴びているのか、YS-11で運行する便だけ早々と満席になってしまう。そのなかで土曜の昼に鹿児島から福岡に行く便に空席があり、予約することができた。
昼前の鹿児島空港。展望デッキに行ってみると、少し離れた駐機場にお目当てのYS-11が2機停まっていた。保存機でない、生きたYS-11を実際に見るのは初めてだ。いや、実際にはどこかで見たことがあるかもしれない。しかし、YS-11であることを知って見るのは少なくとも今日が初めてだ。
ちょうど12時ごろ、搭乗口となるゲートにランプバスが到着し、改札を通ってバスに案内される。駐機場には3機のYS11が停まっており、YS11最後の砦といった雰囲気だ。
ところで、バスの運転手には案内すべき飛行機の連絡がうまく伝わっていなかったらしく、機体整備の係員に「福岡行きはこれですか?」と聞いていた。
今日の福岡行きJAC3648便は登録番号JA8768で運行。この機体は、1970年(昭和45年)に初飛行し、インドネシアの航空会社に引き渡されたが、1978年(昭和53年)に東亜国内航空(その後の日本エアシステム、現在は日本航空に統合)に移籍し日本に帰ってくるという経歴を持つ。
バスを降り、飛行機に乗る前に写真撮影。一眼レフのカメラを持った航空ファンもいてさながら撮影会のよう。YS11の引退を知ってか知らずか、一般の乗客も携帯電話のカメラで写真に撮ったりしていた。
今回搭乗した福岡行きJAC3648便 機体番号はJA8768
隣にいたのはJA8717
一通りの撮影を終えて機内に乗り込む。指定された席は4A。この席は、プロペラの動きと地上の景色どちらも見ることができるという情報をインターネットで調べ、この席を選んでおいた。
YS-11バージョンの”安全のしおり”で描かれているのは、YS-11では実在しないJAL塗装
席に座ると、まず窓の低さに驚く。普通の姿勢では目線は窓の上にあり、そのままでは景色やプロペラは見えない。そこで、少し屈むか着座位置を前にずらして頭の位置を下げるかしなければならない。
機内は2+2で中央に通路がある4列シート。しかも頭上には荷棚があるのだからまるで在来線特急にでも乗っているよう。ただし、安全のため荷棚には荷物を載せることはできない。機内持ち込みの荷物は前の座席の下に置くことになる。
出発時間になり、タラップが自動で格納され、まず右側のエンジンから始動。プロペラの回転が安定したのを確認したように間をおいてから、左側のエンジンも始動。エンジンの真横の席なので、ジェット機とは違うエンジン音や振動を肌で感じることができる。
離陸の準備も整って、滑走路に向けて地上走行。そして一時停止してからエンジン出力を上げてテイクオフ。ジェット機のように加速時に座席に押さえつけられるようなことなく、ふわりと浮く感じで離陸した。
時代を感じさせる座席上のスイッチ 真ん中の赤いボタンは、「スチュワデス呼び出し」
鹿児島といえば桜島、空から桜島が見えることを期待したが、方角が違うのか、見えるのは山ばかり。しばらくすると海が見え、八代海に浮かぶ大小さまざまな島を見下ろす。
島と島には橋がかけられているものもあり、それらを一つずつドライブするのも楽しいなと思う。
さらに進むと、雲仙普賢岳が見えてきた。
1991年の大噴火は記憶に新しいが、空からだと流れ出た火砕流の爪あとが15年たった今でもはっきりと残っているのが確認できた。
福岡県上空に入り、地上は街並みが見えることが多くなった。自分の知っている街ならもっと楽しめるだろう。いまさらながら、羽田からYS11に乗って見たかったと思う。
特徴的な川の真ん中にぽつんと赤い橋が見えたので写真を撮っておいた。
これはあとで調べたことだが、この橋は廃線になった旧国鉄佐賀線の筑後川橋梁で、橋の真ん中が切れているのは船の通行のために通行部分が上下する昇開橋なのだそうだ。現在では遊歩道として整備されており、橋も上下するそうなのでぜひ一度行ってみたい。
1時間足らずのフライトで、福岡空港が近づいてきた。いったん玄界灘に出てUターンするように戻ってから福岡空港に進入する。その間も、福岡市内の街並みが手に取るように見ることができた。こうしてみると、福岡空港はよくこんな市街地の真ん中に作ることができたなと思う。
着陸時に多少揺れたものの、予想していたほどのひどい揺れはなく福岡空港に着陸した。そしてターミナル端に誘導されエンジンストップ。プロペラの回転が完全に止まってからタラップが展開され、降機となった。
到着したばかりの機体には早速折り返し整備のためスタッフが機体を取り囲んでいる。YS11に乗るのはこれが最初で最後になるかもしれない。後ろ髪を引かれる思いで機を後にした。
40年以上にわたり日本の空を飛び続けてきたYS11。目前に迫った引退の一方で、丈夫で使いやすいと評判で海外のエアラインではいまだに主力として飛び続けている機体も数多くあるそうだ。最後の一機が世界中の空から引退するまで、無事故で安全なフライトを続けてほしいと願う。
日本の民間航空会社によるYS-11の運航は2006年に終了しましたが、その後も航空自衛隊・海上自衛隊ではYS-11の運航が継続されました。このことから、今度は軍用機にも興味を持ち始め、今に至ります。
2022年の今、航空自衛隊にわずかに残るYS-11はエンジンが換装されたいわゆる「スーパーYS」で、オリジナルのエンジンを積んだYS-11は飛行点検隊のYS-11FCが2021年に引退して消滅しました。このスーパーYS、鉄道に例えるならば、キハ58に搭載されたDMH-17エンジンをカミンズエンジンに交換するようなものでしょうか。
もっと早く航空機に興味をもっていたらYSにもたくさん乗れたのにと思いますがそれは結果論。興味の対象が広がっていく中で、最後の活躍をするYSに一度だけでも乗れたのは幸運だったかもしれません。
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